2011年8月29日月曜日

赤とんぼを見ました

8月29日(月)

強い日差しと涼やかな風。
湿度が低いせいか、気温のわりに過ごしやすい一日でした。

今日、赤とんぼを見ました。
初夏に見たオニヤンマや盛夏のシオカラトンボに比べて、なんて華奢な体つきでしょうか!
今日は一匹だけでしたが、群れて飛ぶのもまもなく見ることができるでしょう。

そうそう、今日は民主党の代表選で、野田佳彦氏が選出されました。
演説はとても立派でしたね。
今日の顔は引き締まり、戦国武将のようにも見えました。
難しい問題が山積している日本です。
国民の期待を裏切らないリーダーシップを発揮していただきたいと思います。


最後に世界陸上、室伏さん、金メダルおめでとうございます。



2011年8月28日日曜日

夏とともに去りぬ ケイトウは秋の色

8月28日(日)

一旦涼しくなった後、また暑さがぶり返してはいますが、さすがに朝夕は涼しい風が吹き、秋の足音が聞こえてくるような気がします。

ついに菅さんも夏とともに去り行き、あまり期待もされないまま、もうすぐ新しい首相が決まろうとしています。
被害の少なかった地域では日に日に震災の記憶が薄れ、気が付けばテレビではいつの間にか、震災以前のようにお笑い番組が幅を利かせています。
でも実際は、まだたくさんの方たちが避難所生活をされていますし、収入の道を閉ざされたままの方たちもいらっしゃいます。
喉元過ぎて、結局以前と何も変わらないようでは、甚大な犠牲をただの不幸にしてしまうだけです。

菅さんは夏とともに去っても、私たちはこの大震災による精神的な目覚めを、いつまでも心にとどめておくようにしたいですね。


さて、近づく秋の表現に、花びんにケイトウを加えてみました。
盛夏から咲いていたのですが、切花にすると傷みが早く、水もすぐ臭くなるので使うのを控えていました。そうしたら、ものすごく大きくなって(私の背丈ぐらいに)、茎も図太くなってしまいました。
義母に駆除されてしまいそうなので、その前に、ちょっと飾ってみることにしました。
うちの庭のケイトウは、赤は赤でもピンクがかったものとオレンジがかったものの二種類があります。ちょうど半分ぐらいずつ咲いていますが、ピンク好きの私は、ついついピンクのを飾ってしまいました。
でもひょっとしたら、秋の表現としては、オレンジ系のほうがよかったかも・・・と写真を観ながら思っています。



お盆が明けたころ満開だったユリは、花弁が落ち始めると惨めな姿に変わってしまうので、昨日夫にすべて刈り取られてしまいました。
芝だけになった庭は、ガランとして、今日はとてもさびしい感じがしました。

今日は、大きなクロアゲハを見ました。
最近見つける蝉の抜け殻は小さくて、義母に聞いたら、ツクツクボウシの抜け殻だそうです。
夜は店のふすまにコオロギもとまっていました。

夏が終わるきざし、秋が始まるきざしが、ここかしこで見つかります。






2011年8月16日火曜日

Hot Spring in Hot Summer 暑さと戦いながらも

8月16日(火)

暑い暑い、今年のお盆が終わりました。
今晩は、昨日までに比べて蝉の声がまばらです。
もしかしたら、私たち人間には感じられないけれども、ほんの少し季節が秋へと向かい始めているのかも知れませんね。
そういえば、毎朝たくさん見つかった蝉の抜け殻もずいぶん少なくなりました。
まもなく、蝉の声は、秋の虫の音に取って代わられることでしょう。


先日ブログに書いた「ひぐらし」の友人が、先週我が家を訪ねてきました。
ところがここへ来てのすごい暑さです。
ひぐらしはまったく鳴いてくれませんでした。

でも、我が家からの筑波山の眺めや庭の緑などを見て、それなりにリフレッシュはしていってくれたようです。
翌日には彼女と二人、筑波山の江戸屋さんで日帰り温泉を楽しんできました。
プチ温泉気分ではありましたが、同じ汗でもお風呂上りの汗はさらっとしていて気持ちよく爽快でした。
初めてお邪魔した江戸屋さんでしたが(近すぎてかえってご縁がなかった)、こじんまりとした、和テイストの素敵な旅館でした。ただし、客室は分かりません。
そうそう、駐車場に無断駐車よけに置いてあったコーンをつぶしちゃって申し訳ありませんでした!
宣伝しておいたから、許してくださいね。







2011年8月9日火曜日

蝉のぬけがら

8月9日(火)

今朝見つけた蝉の抜け殻です。

2011年8月8日月曜日

立秋、そしてなぜかTemperance(節制)

8月8日(月)

今日は、花びんに萩をプラスしてみたのですが、まったく失念していた「今日は立秋」ということを教えてくださった方がありました。
萩を挿したのは偶然でしたが、「小さい秋み~つけた」という感じになりました。
もっとも今日は蒸し暑く、秋の気配はまだ感じられませんが・・・







と、まあ、ここまでは季節感を出すために急きょ付け足したもので、本当は今日書きたかったのは、季節にも関係なく、お店にも関係ない、タロットの14番目のカードのことです。

13番Death(死神)と15番The Devil(悪魔)というやばいカードに挟まれてTemperance(節制)というカードは存在します。
私の星座であるかに座のカードでもあります。





写真ではちょっと分かりにくいかもしれませんが、カードの女性は手に二つの壷を持っています。
左の壷から右の壷へ、右の壷から左の壷へと、繰り返し「生命のエッセンス」を注ぎ返しているそうです。
このカードは、相反する二つの問題をひとつのものにまとめる「調整」を意味しているそうです。

カードの名は「節制」ですか、私のイメージではむしろ「中庸」といった意味を持っている感じが強いのです。
実は、どういうわけか最近急にこのカードのことをひんぱんに思い出すようになり、心にまとわり付いて離れないので、ここにご紹介することにしました。

自分の星座のカードということもあって、最も好きなカードのひとつなのですが、そのくせどうしてこのカードがかに座なのか分かりかねてもいます。
「中庸」というのはかに座には(少なくとも私には)もっとも苦手な立ち位置だと自覚しているからです。でも、中庸こそがものごとのベストポジションで、だからこそそれが苦手な私たちが目指す目標なのだということなのかもしれませんね。

ちなみにタロットでは、「死神」も「悪魔」も、必ずしも悪い意味ばかりを持っているわけではないようです。
たとえば、「死神」には、新しい転生、古いものの束縛からの解放、再生などの意味もあります。
「悪魔」に対しても、古代エジプト人たちは悪神にさえも親近感を持ち、楽天的な信仰を捧げていたようで、おどろおどろしいイメージはないようで救われます。

ただし、タロットには救いようのないカードがあります。16番のThe Tower(塔)というカードです。
人間の小ざかしい知恵が神の怒りをかって破壊されることを意味するカード、今の私たち人類に何か思い当たる気がしませんか。




2011年8月7日日曜日

鴨亭の庭「絵葉書」ができそうです。

8月7日(日)

徐々に暑さが戻ってきて、蒸し暑い毎日です。
甲子園大会で、試合中の高校生が熱中症を起こすなんてこと、私の記憶では初めてでした。
サッカーの松田選手のこともあり、若いからとか、普段から体を鍛えているからとかと言って安心してはいられないようです。恐いですね。

鴨亭の庭はますます鮮やかさを増してきています。
「絵葉書集」でも作れそうです。


これは、さるすべりです。遠景には筑波山。


ハイビスカスです。六月からずっと花をつけています。


八重の芙蓉です。


以前foxgloveさんからご質問がありましたが、オクラの花は直径十センチぐらいはあります。

2011年8月5日金曜日

定住と旅、親と教師・・・八月の空を見ながら

8月5日(金)

関東平野の中でも茨城は土地の起伏が乏しい。
ここら辺でも、筑波山とそれに連なる低めの山並みから見る角度を少しでもずらせると、見晴るかす広い空である。その空のキャンバスに、今日のような天気の日には、豪快な雲の芸術が描かれる。
力強い夏雲の競演である。

青々とした田んぼの中を通る長い一本道の農道を車で通りながら、時としてそのまま空に吸い込まれてしまうような感覚を持った。

このような感覚、都会では味わうことはできないだろう。

まだ美しい自然がたくさん残る田舎の人は、それを宝だと思い、心の原風景として大切にし、自分がそこに居続ける理由とするのかもしれない。

「ただ・・・」と私は思った。
この景色が美しく、深く、貴重なものであることは否定できないが、ほかのところにも、これと同じぐらい、あるいはこれ以上に美しく、深く、貴重なものは無数にあるに違いない。

住み続ける人に対して、旅人とは、その無数を可能な限り求める者である。

住み続ける人は同一の場で縦に(時間軸に従って)ものを見る人で、旅する人は場所を移動する代わり、ひとつの場所に留まるのは瞬時である。

その両方の人になるのは、不可能である。
適当に折り合いをつけて、時によってどちらかになったり、どちらか一方にこだわったりするだけである。


そこからまた、私の思考は違う枝のほうへ移動していく。
今度は子供の教育についてである。

私は母となり、二人の子供を育ててきた。
お腹にいるときから現在まで、縦の時間で成長を見守ってきた。
それに対して、たとえば中学校の先生は、いろいろな子供のある一定の期間(13歳~15歳)をずっと見ていく職業だ。それぞれの子供のある決まった成長段階にのみ、手を貸していく。
そして短い期間それをやり、送り出し、次の子供たちに関わっていく。

この図式も、住み続ける人と旅する人のそれととてもよく似ている。

それぞれにはそれぞれの味わいがある(だろう、きっと)。