2011年12月11日日曜日

空気の澄んだ週末に

12月11日(日)

久しぶりに晴れが続いた週末でした。
昨夜の皆既月食も大変くっきりときれいに見ることができました。
寒さを忘れて、しばし自然からのプレゼントに見とれました。

今日は空が真っ青で、黄色くなった葉っぱがまるで黄金のように見えたので、写真に撮りました。
葉っぱの向こうには山が写っているのですが、お分かりになるでしょうか?




たくあん用に毎日干しているダイコンも、少ししなびてきて扱いやすくなりました。







雨のち晴れ

12月9日(金)

雨のち晴れの予報どおり、午前中に雨が止み、雲が切れて山が顔を出しました。
このとおり、かなり雪が降っていたようです。
うら寂しい景色ですが、ここは天気のよい日はとても山がきれいに見える場所です。
目の前に山がぐんぐん迫ってきて、このまま車ごと、山に激突してしまうんじゃないかという妄想に取り付かれることもあります。


2011年12月7日水曜日

PEACEFUL EASY FEELING

12月7日(水)

 I like the way your sparkling earlings lay
Against your skin so brown ・・・

(君の褐色の肌にきらめくイアリングが映えてとってもすてきだ・・・)

で始まる、これぞイーグルス節!という初期の名曲です。

彼らがまだ素朴なカントリーテイストを残していたころの、なんともおおらかでのんびりした感じのこの曲を、今日は朝の車の中で二回繰り返して聴いてしまいました。

最初からそんな気分だったわけではありません。
むしろ、ピースフルでイージーなフィーリングなんて近頃まったく無縁と言っていいほどでした。
だからこそと言っていいのでしょうが、この曲を聴いているうちに、心のこわばりのようなものがほぐれてきて、スーッと気持ちが軽くなったのです。
そこでもう一回聴き直し。

今まではべつに、特にこの曲が好きだったわけではありませんでした。
30年以上聴いていて、初めてこの曲の良さに気付いたのでした。
こんなこともあるのですね。

I got a peaceful easy feeling
'Cause I'm already standing on the ground

というこの曲の結びの部分のとおり、地にしっかり足を付けることができれば、きっとハッピーに生きていけるのでしょうね。早くその境地に達したいものです。

2011年12月6日火曜日

ダイコン70本

12月6日(火)

お友達からダイコンをいっぺんに70本いただきました。
ご実家が農家で、自家用に作ったとのことですが、どう見てもお店に並べられているものと比べて遜色はありません。すらっとまっすぐに伸びたきれいなダイコン、葉っぱも青々と元気です。
でも、売り物にはならないというのです。
こんなに立派に育てたのに売れないって、どういうこと?
なんだかお気の毒です。

とにかくこれを全部下さるというのです。
「50本は干してたくあんにして、残りはお店で使って」と言うのですが、あまりの量にしばらくは途方にくれていました。
でも、泥つきのダイコンを山のように積み上げておいたって埒があきません。

こうなったら立派なたくあんに仕立て上げて、お客様にお出ししたり、自分たちで食べたりしようと一大決心して、洗いにかかりました。
幸いうちは業務用の流しなので屋内で洗えましたが、普通の農家では寒い屋外で冷たい水で洗うのでしょう。お百姓さんの仕事って、一つ一つ本当に大変なのだなあと思いながら作業していました。
ようやく洗い終えたダイコンを今日はひとまず室内で干して、太陽の光を待つことにしました。
明日はどうやらお天気がよいらしいので、庭に並べるか吊るすかして干すことができると思います。

否応なくたくあん50本漬けることになってしまいました。
でもこんなことでもなければ、面倒くさがりの私は絶対たくあんなんて作らなかったことでしょう。
ありがたいことだと思います。

2011年12月2日金曜日

初雪

12月2日(金)




今朝の筑波山です。右側の山の上のほうが白くなっています。
夜のうちに初雪が降ったのです。

暖かい日の多かった11月が終わったとたんの冷え込みです。
すべてが冷え冷えとしています。
落ち葉の落ちる音、風に飛ばされる音が一層寒々しさを際立たせます。

本格的な冬の日、私たちの心身を暖めてくれるもののひとつに、鍋料理、煮込み料理があります。
湯豆腐、寄せ鍋、おでん、ポトフ、シチュー・・・
晩御飯担当の主婦にはお助けメニューであると同時に、これらのお料理の温かさは何よりのご馳走ですよね。寒い中外から帰ってくる人たちのことを思いながら、夕方前に大きなお鍋でドン!と作っておけば、後はどんなに忙しくなっても大丈夫という安心感があります。

この冬もこれから、定番ながら「ほっとするホット料理」で、家族を暖めましょう。

2011年11月24日木曜日

十一月賛歌

11月24日(木)


庭のもみじが今見頃を迎えています。
これは鴨亭玄関の正面、駐車場の真中にあるもみじです。
玄関から十メートルほど内側の廊下に立つと、フローリングの床に映り込んだ「逆さもみじ」を見ることができます。
夕方にはライトアップをしていますが、なかなかきれいです。


さて、十一月となると,にわかに日が短くなり、木枯らしも吹き始め、初霜の便りもあちこちから聞こえてきます。近づいてくる冬の足音にちょっと憂鬱になったりもしますが、私にとってはそれだけでもないのです。

息子の誕生月ということはとりあえず置いておいても、まずいちばんは、今年の六月に作った梅酒と梅ジュースが解禁になるということ。(琥珀色)
それから、七五三で子どもの盛装姿が見られることも楽しみの一つです。(錦)
ちなみに鴨などのジビエも、冬を前にたっぷりと脂肪をつけておいしくなります。(?)
そして紅葉。(赤・黄色)

自然から「冬」といういちばん厳しい季節の洗礼を受ける前の、つかの間の様々な彩りが、十一月にはありますよね。


話は変わりますが、「永遠のゼロ」ですっかりファンになってしまった百田尚樹さんの「輝く夜」という短編集を買いました。
まだ途中ですが、日本版のO・ヘンリーという感じがしました。
百田さんは、「社会や人間のおぞましさは現実に溢れかえっているからわざわざフィクションで扱う理由がない」とおっしゃっています。
百田さんの信念、「小説は読者に生きる勇気・生きる喜びを与えるものでなければならない」という姿勢を私は心から支持します。
私たちが作っていくお店も、かっこよく言えば、百田さんの作品みたいなお店を理想としています。この理想に、少しでも近づけるように、努力していかなければと思っています。












2011年11月12日土曜日

秋の庭にて

11月12日(土)

まずは、朝日が高く昇ってきたころの雲の様子です。画面下のほうのすじ雲がきれいだったのですが、あまり鮮明ではありませんね。

二枚目の写真は、同じ時刻の、雲に取り巻かれた筑波山です。

 




 さて、庭には椿が咲き始めています。
季節がさらに進んだなという感じがします。
椿は寒い時期の日本の花の代表格ですが、この花が咲いている風情を見て、私がいつも思い出すのは、「不思議の国のアリス」で出てくるバラの花です。
トランプの兵隊たちが、白いバラの花を、女王様の命令で用意するはずだった紅バラに似せるため、大急ぎでペンキで赤に染め替えているシーンのあのバラの木によく似ているのです。
赤椿が今日は一輪しか咲いていなかったのと、背景に写りこんでいる桜の木などで、あまり感じが出ていませんか?



 菊の花は、まさに満開の時を迎えています。
庭に咲いている限り、その色とりどりの花々はとても美しいのですが、いざ花びんに挿そうと思うとそれほどた易くはいきません。
花屋さんで売られている菊は、さすがプロの商品だけあってみんな茎がまっすぐなのですが、庭の花は違うのです。
紐で縛ったり、添え木を当てたりといった義母の必死の努力にも関わらず、ひねこび放題。
さらに、どのようにひん曲がった茎でも花は真上を向いて咲きますから、斜めだった茎に咲いた花は、立ててあしらおうとすると俯いてしまいます。
花自体はとてもきれいでも、どうやってみても使いこなせない花がたくさんあります。
むしろ、活けたとき花びんと調和して映える花を探すのが難しいぐらいです。

このような時、いつも
「これって人間と同じだなあ。」
と思います。
素直でまっすぐに育った人間なら、どんな場所でもすんなりと周りと調和してやっていけますが、くせのある人間は、配置や使い道が難しい。
中にはどうにか居場所を見つけてそれなりにやっていける人間もいるでしょうが、どうにも溶け込めなくて、その結果あちこちを転々とするような生き方をせざるを得ないような人もいると思います。

少し前ほどには「個性の尊重」ということは言われなくなりましたが、当たり前といえば当たり前です。「個性の確立」より前にまずすべきは、素直な心の育成でしょう。まっすぐに伸びた茎の先にこそ、個性豊かな美しい花が咲くのだと思います。
















2011年11月6日日曜日

カマキリにあやまった息子

11月6日(日)


時は移り、早くも11月。
この季節には珍しい暖かい日が続いています。

毎朝あちこちでカマキリが産卵しているのを見かけます。

数日前、ベランダ側の窓の網戸の隅に産卵しかけてやめたみたいなカマキリが一匹張り付いていました。
きっと産み始めたとき、何か邪魔が入ってやめてしまったのでしょう。

一部だけ産み付けられた卵はどうなるのでしょう。春になって何匹かは這い出してくるのでしょうか。
出産という、女の一世一代の大仕事を中断させられてしまったカマキリは、まだ次の機会をもてるのでしょうか?
同じ女として、このカマキリに深い同情を覚えました。

そのとき娘が私に教えてくれました。
そのカマキリに息子が謝っていたというのです。
何も知らずに窓を開けてしまった息子は、そこに産卵中の彼女を発見。
でも気づいたときにはもう遅く、危険を感じた彼女は卵を産むのをやめてしまったらしいのです。

後ほど私が見つけたときも、ほとんどその場所を動いてはいなかったものの、もう産卵の続きを始める意志はなかったようです。

そしてその日の夕方には、途中まで産み付けられた卵はそのままに、彼女は姿を消していました。

産卵という仕事を成し遂げられないまま一生を終わってしまうかもしれない彼女のことを思うと、胸がちくちく痛みはしたものの、彼女に謝っていたという息子の感性に、少しほっとした私でした。

2011年10月21日金曜日

黄色系になった庭、ぎんなん

10月21日(金)

道路からうちに入ってくると、なだらかなスロープを上がっていくことになります。
そして突き当たりをかなり鋭角に曲がるとやっと店が見えます。
最初のスロープを上がりきったあたりに今菊が満開です。

それから見本の鴨小屋の近くにも、お部屋の窓から見えるところにも。


数年前にいただいた鉢植えを、義母が小分けにして庭中に植え替えたのです。それらがそろって育って増えた結果です。






なんとなく庭全体も黄色っぽく染まって見えます。
今日は曇りだったからよけいそうなのかもしれません。

そうして、庭の中心にある石の上には、義母が拾って、洗った銀杏(ぎんなん)が干してあります。



これは毎年のこの時期の、義母の仕事です。
封筒に入れて、レンジで加熱して、パンパンと殻をはじかせて食べるのもおいしいですが、とてもたくさんあるので、袋に入れてホールに置き、お客様にもお分けしています。
とても手間がかかるので、「手間代だけ」頂戴していますが、結構人気があります。

そう言えばこの時期のイチョウの葉も黄色、この辺の秋は、燃えるような赤ではなく、少し物寂しい黄色系の秋です。

2011年10月19日水曜日

父の畑納め

10月19日(水)


この間の三連休に、実家の父が畑を納めるためにやってきました。
頑強な体を誇っていた父でしたが、寄る年波には勝てず、ここでの畑仕事が年々きつくなってきていたようなのです。
けじめとして、長年耕してきた畑を更地に戻すためにきたのですが、五ヶ月ぶりということもあって、すでに荒地となっていたところを夫がざっと草刈機で刈ってあったので、実際それほどやることはなかったみたいです。

私がここに来てからまもなく父がここに畑を作ったのは、もちろん父の数少ない趣味のひとつでもあったのですが、それ以上にきっと、私のことが心配だったからだと思われます。
畑を口実に私の様子を見に来ていたというのが本音で、そのうちそれに孫見たさが加わって今まで続いてきたのでしょう。
でもその孫たちも成長して自分たちの世界を持ち、父が来てもいないことも多くなっていました。いつの間にか、心配されていた私のほうが父の道中や体を心配するようになってきて、ちょうどすべてのタイミングが合い、畑はその役割を終えたということです。

父も、畑も、お疲れ様でした。ひとつの時代が終わりましたね。
でも、ひとつの時代の終わりは、次の時代の始まりですね。
父にもまだ、もっと体に優しく脳みそには厳しい趣味を見つけて、健康でいてもらいたいと思います。一緒にがんばりましょう。

2011年10月14日金曜日

どこにでもクモの巣

10月14日(金)

今朝はあたり一面にもやがかかっており、明け方まで細かい雨が降っていたような気配でした。
それが、気温が上がるとともに少しずつ薄くなって、朝食の支度が整うころには庭の木々も姿を現し始めました。
そうしたらびっくり、あっちにもこっちにも、クモの巣がきらきらと光っているではありませんか!
普段は目立たないのに、朝露をすずなりにぶら下げているからいつもと違ってまるみえです。
水晶のネックレスのようできれいではありますが、クモにとっては防犯上(?)ちょっと危険ですね。








こんなのがもっともっとあちこちにあったのですが、とりあえずここまでにします。

うちの庭のクモたちに関しては、思いのままの家作りも多めに見てあげられるのですが、お店の庭ではそうもいきません。
ですから、今日は竹ほうきを振り回して、端からクモの巣払いです。
それでも、ジャンプしても届かないところにもいっぱい!
(もっとも、昔のつもりで跳んでても、足はほとんど地面にくっついたまんまという情けないジャンプではありましたが。)

柄のいちばん先を持って上向きに竹ほうきを振り回すこの作業は、結構よい運動になりました。
人が見たら、「意味不明」ではあったでしょうけれど・・・

いつもより意識が上に行ったせいで、いろいろな実にもあらためて目を留め、写真に撮ってあげることになりました。


ピラカンサスです。


ネットでは、「鳥が食べに集まってきます」という説明が付いているものもありましたが、千両や万両などの実が食べられてしまっていてもいつも一番最後まで残っており、察するにあまり美味ではないようです。いよいよ食べるものが何も無くなってしまうと、仕方なく食べているような印象を受けています。


こちらはどうやら烏瓜のようです。


木々に蔓を絡ませて、あちこちでぶらぶらしています。
木の葉が落ちて、スカスカになった枝に絡まっているから、まるでその木の実のように見えます。どことなくユーモラスな目立ちたがり屋さんです。

2011年10月11日火曜日

どこにでもカマキリ

10月11日(火)


お天気にも恵まれて、すてきな季節の三連休が終わりました。

毎晩月もこうこうと輝き、今晩はほぼ満月、九日の十三夜の月は、薄雲にくるまれて少し潤んでいるように見えました。
この日(九日)は、いつも行く産直のお店で売り出しをやっていて、ススキをただで大量に分けてもらうことができました。ふんだんにススキをあしらった花びんは、東京からのお客様にとても羨ましがられました(東京ではなかなか手に入らないでしょうから)。

菊が咲き始め、いろいろな実も赤く色づき、花の悩みともしばらく別れていられそうです。


さて、このごろ、いろいろなところに茶色に枯れたカマキリが貼り付いていて驚かされます。
窓ガラスの外側とか、家の外壁とか、縁側とか、至るところです。
昨晩はお風呂場にいたので、一緒に入浴してしまいました(?)。
さっきは犬のえさ入れの中です(コロに食べられちゃうぞ~)。
気温が下がってきたせいか、動きが鈍く、突いてもあまり反応しません。しつこくかまうと、ようやく面倒くさそうにのそのそ移動を始めます。もっと寒くなると、まったく動かなくなり、そのまま死んでいることもよくあります。今貼り付いているカマキリは、そうやって静かに余生を過ごしているというわけなんですね。
でもその前に、木の枝にちゃんと卵を産み付けているんですね。春になると、ホチキスの針みたいな赤ちゃんが、その卵からぞろぞろ出てくるんです。
こちらに来てからそんな光景を何度か見ることができました。

2011年10月7日金曜日

モクレンの実

10月7日(金)


モクレンに実が付くということを、私は去年初めて知りました。
赤い実なのですが、二つ三つがひとかたまりの不完全な茶色の皮みたいなのをまとっていて、なかなかユニークです。
写真では、よく判りませんかね~




こちらは、モクレンの木の上半身像。
今はまだ、こんなに緑がたくさん茂っていますが、冬にはまったく枝だけになり、寒々しい風貌に変わってしまいます。
その裸の枝にやがて固いつぼみが付き、春を待ち望む気持ちが一段と強くなります。
そして待ち望んでいた白い花が開き、やがて満開になり、その下で犬のコロがのんびりと日向ぼっこする、という一年のサイクルです。



















2011年10月6日木曜日

らんぶる

10月5日(木)

昨日のお休みは、高校時代の友人と恩師に会ってきました。
友人とは一年ぶり、恩師とは十年ぶりぐらいの再会でしょうか。

先生の行きつけの店という、新宿の「らんぶる」という喫茶店でお話をしました。
このお店、昭和の時代からの名曲喫茶の名店で、私も名前だけは知っていましたが、入ったのは初めてでした(夫は昔、新宿でサラリーマンをしていたときに行ったことがあると言っていました)。

一階はどうってことない「普通の」喫茶店という感じでした。
「普通の」と言っても、喫茶店全盛の時代を知っている私にとっての「普通」であって、今の若い人なら十分レトロ感を味わうことができるかもしれません。
先生が、
「地下に行こう。地下は広いんだよ。」
とおっしゃるので入ってすぐ左にあった階段を降りていきました。そこは、さらに懐かしい雰囲気の漂う空間でした。
地下が二階建てになっていて、赤い椅子とシャンデリアとクラシック音楽で、お客さんを外界から一気に切り離し、緊張から解いていってくれるような感じです。

そこで私たちは三十余年の年月を徐々に解凍させ、遡ったり戻ったりと、時間を自由に行き来しました。それぞれの記憶を語っているうちに、忘れていたこともたくさん思い出し、封印していた当時の(主に思春期にありがちな微妙な)心情を披露し合い、今ではそんな、揺れ動いていた自分たちを、客観的に暖かいまなざしで観ることができるようになっている自分たちを発見しました。

「らんぶる」とは「琥珀(こはく)」という意味だそうです。琥珀は、植物の樹脂などが地中で長い時間かかって化石化したもの。
私たちの高校時代も、長い時を経て、なめらかでつややかな人生の装飾品になっていたようです。
心の引き出しの中に大事にしまっておきましょう。
ときどきとりだして見ることができるように、鍵はかけないままで。

2011年10月4日火曜日

名残ひまわりとアオジソとミズヒキ

10月4日(火)

7月11日のブログで怖いアジサイの話をご紹介しましたが、今回も似たような話です。
そしてまた、前回はシソご飯の話題と組ませましたが、今回も偶然アオジソと組んでいます。

玄関に飾った花入れに、いつまでもしおれないひまわりが一輪だけまだ残っているのです。
小さい小さい花ですが。



前回の台風でうちのひまわりは全滅してしまったので、飾っていたのも次々に枯れてほかには残っていません。ここに活けてから、もう何日経つでしょう?
「お化け」ひまわりと呼ぶのはかわいそう過ぎるので、「名残」ひまわりと名付けました。

さて、ひまわりを取り囲むように活けてあるのは何でしょう?
実はこれはアオジソなのです。
この季節、うちの庭の菊はまだ固いつぼみですし、飾る花には本当に苦労しています。
シソも、葉っぱだけですとすぐ黒くなってしまうので、飾るのはどうかと思ったのですが、茎も一緒だと結構長持ちしてくれています。香りもほとんど気になりません。
ただ、白い花の寿命は短く、ポロポロポロポロ落ち続けますので、今度はお掃除が大変になってしまいました。
でも、掃除がどうだこうだと花を選んでいられる季節ではありません。
変な生け花ですが、見た目はそれほど変ではないと思っているのですが・・・?

そして、もう一種類、すーっ、すーっと伸びているのはミズヒキです。
庭の端っこの山の斜面の始まりのあたりに生えていました。
これが、使いようで結構映えるのです。
これだけだと目立たなくて見過ごしてしまいそうな花なのに、花瓶の中では名脇役です。

やはりお茶の世界で好まれるのも、でしゃばらないのにしっかりとした存在の意味があるからだと、分かるような気がします。

2011年10月2日日曜日

意志の問題

10月2日(日)

昨日、忘れないことと忘れることについて、安易なまとめ方でおしまいにしてしまいました。
でも今日になってもまだなにかひっかかっている感じがなくなりません。
朝、店を掃除しながらずっと考えていました(私がものを考えるのはこの掃除の時間が多いです。この時間に何か一所懸命考えるか、怒りなどの悪感情に支配されているかで、その日一日の満足度がかなり違ってきます)。
そこで意志の問題にたどり着きました。

私はよく物忘れをしますが、そんな「うっかり」の忘れるという行為(?)には、意志がないのです。
それに対して、昨日のテーマの「忘れる」「忘れない」には強い意志が働いています。
そのままにしておいたら忘却のかなたに消えていってしまいそうな、愛するものの面影を必死にたぐり寄せようとする強い意志、そのまま放置しておいたら、報復への誘惑に負けそうになってしまうところで踏みとどまる強い意志。
あるがままの自分をそのまま通すのではなく、そこに強い意志を働かせ、あえてより高いステージへ向かっての戦いを自分自身に挑ませるなんてことは、やはり成熟した大人の人間にしかできないことでしょう。

こうしてようやく、二つの文章を擦り合わせての、私なりの結論めいたものが出たような気がしました。

2011年10月1日土曜日

忘れないことと忘れること

10月1日(土)-2

「忘れる」という言葉が私の頭にひっかっかったのは、「忘れてはいけない」という趣旨の文章と「忘れなくてはいけない」という趣旨の文章とを偶然同じ日に読んだからです。

前者は朝日新聞の「南相馬日記」ー 消えた命 忘れはしない - (9月29日付け)。
毎日海辺に通い続け、津波でさらわれた父親と幼い長男を、探している男性の記事です。
南相馬市において、津波による死者と不明者は663人にも及びます。にもかかわらず、震災の直後に起こった原発事故にばかりに目が向けられ、津波の犠牲者が置き去りにされている現状を告発している記事です。
男性は愛する家族を「決して置き去りにはしない」と胸に刻み、今日も捜索を続けているそうです。

そして後者は新約聖書「コリントの信徒への手紙」にある「愛の定義」。
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
という、有名な個所です。
この定義を曽野綾子さんが本の中で解説されていましたが、「恨みを抱かない。」という文の説明で、「抱く」という語のギリシャ語の原語は会計係が忘れないために記帳するという意味の動詞だそうです。つまり、キリスト教の愛の定義では、忘れないことがよいのではなく、忘れなければいけない場合があるというのです。
ですからこの場合の「忘れる」は、「許す」ことと同じで、キリスト教信仰の基本原則となっています。
しかし、いくら信仰の原則が「許し」であっても、クリスチャンがみな原則どおりに「許す」ことができているかというと、そうではないと曽野さんは続けます。そして、人間性に厚みをつけるためには、あるがままの自分とあるべき自分との二重性を子どものうちから理解させなくてはいけないとおっしゃっています。いい年をして、子どものように幼稚で薄っぺらい見方しかできない大人が認められるような社会は、世界の中にほとんどないからというわけです。

厳しいご指摘ですね。


両方の文章を読んで、、私たちが生きていくうえで、「忘れてはいけないこと」がある一方、「忘れなければいけないこと」もあるということにあらためて気を留めることになりました。
そして私たちはしばしば、忘れてはいけないことを忘れ、忘れなければいけないことを忘れず、そのために重荷を背負って生きているような気分になることに思い当たりました。


糧になることは忘れず、重荷になることは忘れて生きていけるように、これから先、注意深く心を使いながら生活していこうと思います。

Stay or Go (行くか、とどまるか)?

10月1日(土)


小学生のころ愛読していた少女文学全集の中に、「風の子キャディー」という物語(残念ながら作者は覚えていない)がありました。

舞台は西部開拓時代のアメリカ、主人公のキャディーはティーンになるかならないかの女の子。両親、姉と兄、弟と二人の妹という家族に、ボストン育ちの従姉が絡み、このあたりは「大草原の小さな家」にちょっと似ていると言えるかもしれません。
物語は、南北戦争、インディアンとの対立と和解などの時代背景の中で、子供たちが成長し、家族が絆を深めていく姿を描いたものでした。
当時日本ではまだ、それほど一般的になっていなかったヴァレンタイン・カードを、子供たちが贈りあうシーンなどもあり、それが兄の初恋のエピソードにもなっていて、とても楽しんで読んだ本です。

物語の一番の山場は終盤に訪れます。

東部ボストンの親戚が亡くなり、一家に、お屋敷を含めた莫大な財産を受け取る権利が発生したのです。ただし、それには条件がありました。ボストンに戻って、そこで生活することです。
キャディーのお父さんは家族投票をすることにします。
兄弟六人と両親が、それぞれに、「STAY」の4文字か「GO」の2文字を書いて投票するのです。いちばん小さい妹まで、この6つの文字を教えてもらって投票に参加しました。

結果は「GO」は姉一人だけ。その姉も、「私も本当は行きたくなんてなかったんだわ!」とすぐ撤回します。

物語は、リンカーン暗殺のニュースのショックから一家が立ち直り、それでも「西」(=新しい場所・時代)に向かって生きていく決意を新たにするところで終わります。


人生の大きな岐路にいつも立ちはだかる永遠の問い「Stay or Go?」。
重要なのはどちらが正しいのかではなく、決断を下すこと自体なのでしょう。
なぜならこの物語でも、そのほかの多くの場合でも、「STAY」という決断はすなわち新しい「GO」でもあるからです。

2011年9月30日金曜日

快晴

9月29日(木)


前回の更新からずいぶん経ってしまいました。
その間に、台風十五号は日本を直撃し、我が家のひまわりも全部なぎ倒され、だめになってしまいました。
今はその処理も済んで、夫が重機でならした後に、義母が新たに畝を作り始めています。

台風が去るとともに、それまでの暑さも一段落し、日ごと秋らしさが深まっています。
29日早朝に撮った快晴の写真です。




2011年9月19日月曜日

敬老の日に

9月19日(月)



今頃になってひまわりが盛んに咲いています。
うちのひまわりは超小型です。直径が五センチから十センチぐらいです。
花びんに飾れるように、義母がわざわざ植えてくれたものが増えたのです。
それが今は、、ひとつの枝から、ちょうど線香花火がパチッ、パチッと跳ねているように、四方八方に向かって勢いよく伸びて咲いているのです。
本当に、夏の日差しに負けない強い色の花です!


さて、今日の鴨亭は、大安と敬老の日が重なって、お宮参りの赤ちゃんをお連れになった三世代のご家族でにぎわいました(ありがとうございました)。
お店はすべての部屋が個室なので、お子様が少々泣かれても大丈夫です。

もちろん、まったく聞こえないわけではありませんが、赤ちゃんの元気な泣き声は微笑ましいもの、こちらも遠い昔を思い出して、懐かしがっておりました。

お孫さんをお連れになったお客様は例外なく、本当にお幸せそうです。
ご家族の愛を一身に受けている赤ちゃんも、お幸せだと思います。
このような場面がふつうに見られる世の中が、これからも続いてくれればよいと思います。

2011年9月18日日曜日

無花果(いちじく)

9月18日(日)


花が咲かないのにいきなり実を付けるように見えることから、このように書き表されるようになったそうです。実際には花が無いのではなく、外から見えないだけだそうです。

昨日から、うちの庭で生ったいちじくのワイン煮をデザートでお出ししているのですが、これが年配の(失礼・・・「おとなの」)女性を中心に結構好評です。大人の女性は季節に敏感で、旬の食べ物のおいしさをよくわかっていらっしゃるのでしょう。
今の世の中では、季節に関係なくさまざまな食材がいつでも店先に並びますから、逆に季節感が希薄になってしまってつまらない気がします。

あるお客様は、いちじくをお酢とお砂糖だけで煮るという調理法を教えてくださいました。

あるお客様は、ご自分の誕生月である十月を称して、「柿や栗や、おいしいものがた~くさんある月なのよ!」と誇らしげにおっしゃっていました。

今日も厳しい残暑ではありましたが、鴨鍋のご注文もボツボツいただくようになり、味覚の秋へと季節は移りつつあるようです。

2011年9月17日土曜日

この9月に思う

9月16日(金)


厳しい残暑のまま、九月も後半に入りました。
七月初旬の異常な暑さと比べれば五度以上低いはずなのに、二ヶ月以上にわたって夏の気候と戦い続けてきた身にはかなりこたえます。涼しい秋風を待ち焦がれるこのごろです。


11日は、震災から半年、そしてアメリカのテロ事件から10年の節目の日でした。
テレビニュースも新聞もいろいろな特集を組み、さまざまな報道がされました。

ある意味長い時間がたったとも言え、あっという間だったとも言えるような月日、年月です。
自分も、日本人も、あのときの衝撃と決意を、今も忘れずに生きているだろうか?と自問してみます。
いつの間にか甘くなっている自分、緩んでいる自分に気がつきます。
だから逆に書けなかった・・・いろいろ書くべきことがあるはずなのに書けなかった・・・


節電の指令が解けた後、電車に乗ったら、また上着が必要なほどクーラーが効いていました。
何か少し変だという気がしました。
被災者を救済するための制度を利用した詐欺も横行しているようです。

まだ状況が改善されていない被災者がたくさんがいる一方で、復興の名の下に、相変わらずの愚行が繰り返されているのです。

原発で、自らの健康・命も顧みず、事故の拡大を必死で食いとめている方たちは、守りたい誰かのことを思ってがんばっていらっしゃるのだと思いますが、図らずも守るに値しない人間たちまで一緒に守ることになって本当にお気の毒です。
せめて自分は、現場の方たちへの感謝を忘れずに、彼らからの恩恵に値する人間でいたいと思います。

2011年9月12日月曜日

すすきを求めて

9月12日(月)


まずは今朝の美しい筑波山をご覧いただきましょう。




どちらも朝の六時半、てっぺんだけに雲をまとい、朝日に照らされている筑波山です。


さて今日の私には大きな使命がありました。
お店の花びんにすすきを飾ることです。今日はお月見ですからね。

ところが今年はなかなかすすきが見つからなかったのです。
もう少し季節が進めば、この辺にはいくらでも生えているのですが、今年は遅れているのでしょうか、葉っぱはあってもまだ穂が出来ていないのです。

農道を車でゆるゆる走りながら目を光らせたのですが、収穫なし。
ついに、近所の湖を一周してしまいました(周囲1.6キロ)。
そしてやっと小さな群れを見つけ、十本ほどのすすきをゲット、お店に飾ることが出来ました。

夕方になると、きれいな月が昇ってきました。
とても残暑の厳しい一日でしたが、夕方からは涼しい風が吹き始め、虫の音も名月に趣を添えてくれています。
今は空に少し雲が流れていて、月影が濃くなったり薄くなったり、その変化もなかなか味があります。

2011年9月9日金曜日

泉のほとりにて

9月9日(金)


ボトルを買うと、アルカリイオン水を無料で汲ませてくれるコーナーがスーパーにあります。
今朝その場所に行くと、おじいさんが水を汲んでいました。
一人待ちは超ラッキーとは言えないけれど、それほどアンラッキーでもありません。
そう思って並んでいると、そのおじいさんが、
「あなたはよかったよー。私なんか三人も待ったんだからー。」
と話しかけてきました。
「そうなんですかぁ」と私。
すると、彼の話はさらに続きます。
「待っている間に、ずいぶん鮮やかな色の服ですねえなんて話しかけられちゃってねー。」
見ると、濃いピンク色のポロシャツに、ベージュのキャップ。でも似合っています。
「あら、素敵な色ですよ。私こういう色が好きなんです。それによくお似合いですよ。」
と返したら、嬉しかったようで、
「いや、ちゃんとしていないと、家内がうるさくってね。」
「無関心でいられるよりよっぽどいいですよ。服の色は結構気分に影響しますから、明るい色がいいですよ。」

私の番が来ると、今度は後ろに若いご夫婦と小さい女の子が並びました。
順番を待っている間にパパは売り場に戻った様子。
女の子はママに尋ねます。
「パパは?」
「パパはあっち。」
「じゃあママは?」
(ちょっと意表を突かれた感じで)「・・・ママは、ここ。」
この反応が女の子には面白かったのでしょう。さらに、
「じゃあミヤは?」(ミヤってこの子の名前なんでしょうね!)
「ミヤも、ここ!」
そうしたら、女の子はとても嬉しそうに笑いました。
なんともほほえましい光景でした。


昔から、井戸や泉など水のあるところには水汲みのために人が集まり、社交の場になって来ました。
時代や場所は違っても、何かここは泉のほとりみたいと思いながら、無料アルカリイオン水コーナーを後にしました。

2011年9月8日木曜日

子ヘビと遭遇

9月8日(木)


この間、(たぶん)とても珍しい蛾を見ました。
とまっているところはただ真っ白に見えたのです。
玄関の内側に二・三日とまったままだったので、外に出そうと思って羽を捕まえました。
そしてそのボディと足を見て、びっくり!!
真っ白なボディには、黒と赤のドットが規則正しく二列に並んでいます。
そして、六本の足は、生え際から最初の関節まで(人間で言えば大腿部)が真っ赤、そこから先(やはり人間で言えば膝からつま先まで)が真っ白で、まるで紅白の水引のようなのです。

毒キノコと蛾が、やたらに色使いが毒々しいのは図鑑などで見たことがありましたが、こんなにも芸術的(?)な蛾を実際に見たのは初めてでした。



さて今日の話題は子供のヘビ。
朝の忙しい時間帯。
玄関のドアを勢いよく閉めて、家の前の石段を駆け下りました。
数段駆け下りたところで、後ろでがさがさっという音がしました。
「!」
ピンと来た私が振り返ると、やはりそこにはヘビの姿が。
ただし、それはまだ子供のヘビでした。
私以上に驚いたであろうヘビは、たぶん私にまたがれてしまった石段から側面の石の割れ目まで這い登ろうとしていました。でも、チビなのでなかなか登っていけないようなのです。
足もないのに何回も何回も、石に飛びついてチャレンジ。
やっとのことで割れ目に姿を隠しましたが、さぞ焦っていた事でしょう。

夫に話したら、「小野道風とカエルみたいだね。」

2011年9月3日土曜日

カエルとドライヴ

9月3日(土)

朝の買い物に出かけようと運転席に乗り込んだら、フロントガラスにちっちゃなカエルが張り付いていました。
車が動き出してもびくともせず、そのまま一緒にドライヴです。

ところが台風がらみのこのお天気です。
とつぜん雨粒がぱらぱらと落ちてきました。
さあ困った!ワイパーを使うと、雨と一緒にカエルも振り払ってしまうでしょう。
道路に落ちたカエルは、私の車か後続の車に轢かれてしまうかもしれません。
でも、このままの視界で運転するのも危険です。

たまたま今日はポストに投函しようと思っていた手紙がありました。
最寄のポストまで注意深く運転して行き、車を止めました。
手紙を出してからフロントガラスのカエルをつついてみましたが、動きはするものの、車から飛び降りてはくれません。
仕方がないのでエンジンをかけて、ワイパーで畑の淵まですっ飛ばしてやりました。
カエルの無事を確認してから出発しました。

自分の生まれた場所(鴨亭)にはもう戻れないでしょうが、新しいおうちで元気に一生を全うして欲しいと思います。

2011年9月1日木曜日

九月になりました。

9月1日(木)


台風12号によって、突然土砂降りになったり、また晴れたり・・・
九月は蒸し暑い幕開けとなりました。

私の周りには結構九月初旬生まれの人がいます。(ちなみにうちの犬"コロ"も九月一日が誕生日です。)このころの生まれはおとめ座、なんとなく女性的なイメージが漂う星座ですが、これがちょっと違うんですね、ご本人たちと。

あるおとめ座の友人自らの説明によると「、おとめ座の『乙女』とは、大人になる前のごく若い時期の女性のことだから、女性的な要素よりも、少年的な要素のほうが強く、性格も男っぽい人が多い」そうです。この説明、実例をみる限り、かなり説得力があるように思います。
皆様の周りのおとめ座さんはいかがですか?



2011年8月29日月曜日

赤とんぼを見ました

8月29日(月)

強い日差しと涼やかな風。
湿度が低いせいか、気温のわりに過ごしやすい一日でした。

今日、赤とんぼを見ました。
初夏に見たオニヤンマや盛夏のシオカラトンボに比べて、なんて華奢な体つきでしょうか!
今日は一匹だけでしたが、群れて飛ぶのもまもなく見ることができるでしょう。

そうそう、今日は民主党の代表選で、野田佳彦氏が選出されました。
演説はとても立派でしたね。
今日の顔は引き締まり、戦国武将のようにも見えました。
難しい問題が山積している日本です。
国民の期待を裏切らないリーダーシップを発揮していただきたいと思います。


最後に世界陸上、室伏さん、金メダルおめでとうございます。



2011年8月28日日曜日

夏とともに去りぬ ケイトウは秋の色

8月28日(日)

一旦涼しくなった後、また暑さがぶり返してはいますが、さすがに朝夕は涼しい風が吹き、秋の足音が聞こえてくるような気がします。

ついに菅さんも夏とともに去り行き、あまり期待もされないまま、もうすぐ新しい首相が決まろうとしています。
被害の少なかった地域では日に日に震災の記憶が薄れ、気が付けばテレビではいつの間にか、震災以前のようにお笑い番組が幅を利かせています。
でも実際は、まだたくさんの方たちが避難所生活をされていますし、収入の道を閉ざされたままの方たちもいらっしゃいます。
喉元過ぎて、結局以前と何も変わらないようでは、甚大な犠牲をただの不幸にしてしまうだけです。

菅さんは夏とともに去っても、私たちはこの大震災による精神的な目覚めを、いつまでも心にとどめておくようにしたいですね。


さて、近づく秋の表現に、花びんにケイトウを加えてみました。
盛夏から咲いていたのですが、切花にすると傷みが早く、水もすぐ臭くなるので使うのを控えていました。そうしたら、ものすごく大きくなって(私の背丈ぐらいに)、茎も図太くなってしまいました。
義母に駆除されてしまいそうなので、その前に、ちょっと飾ってみることにしました。
うちの庭のケイトウは、赤は赤でもピンクがかったものとオレンジがかったものの二種類があります。ちょうど半分ぐらいずつ咲いていますが、ピンク好きの私は、ついついピンクのを飾ってしまいました。
でもひょっとしたら、秋の表現としては、オレンジ系のほうがよかったかも・・・と写真を観ながら思っています。



お盆が明けたころ満開だったユリは、花弁が落ち始めると惨めな姿に変わってしまうので、昨日夫にすべて刈り取られてしまいました。
芝だけになった庭は、ガランとして、今日はとてもさびしい感じがしました。

今日は、大きなクロアゲハを見ました。
最近見つける蝉の抜け殻は小さくて、義母に聞いたら、ツクツクボウシの抜け殻だそうです。
夜は店のふすまにコオロギもとまっていました。

夏が終わるきざし、秋が始まるきざしが、ここかしこで見つかります。






2011年8月16日火曜日

Hot Spring in Hot Summer 暑さと戦いながらも

8月16日(火)

暑い暑い、今年のお盆が終わりました。
今晩は、昨日までに比べて蝉の声がまばらです。
もしかしたら、私たち人間には感じられないけれども、ほんの少し季節が秋へと向かい始めているのかも知れませんね。
そういえば、毎朝たくさん見つかった蝉の抜け殻もずいぶん少なくなりました。
まもなく、蝉の声は、秋の虫の音に取って代わられることでしょう。


先日ブログに書いた「ひぐらし」の友人が、先週我が家を訪ねてきました。
ところがここへ来てのすごい暑さです。
ひぐらしはまったく鳴いてくれませんでした。

でも、我が家からの筑波山の眺めや庭の緑などを見て、それなりにリフレッシュはしていってくれたようです。
翌日には彼女と二人、筑波山の江戸屋さんで日帰り温泉を楽しんできました。
プチ温泉気分ではありましたが、同じ汗でもお風呂上りの汗はさらっとしていて気持ちよく爽快でした。
初めてお邪魔した江戸屋さんでしたが(近すぎてかえってご縁がなかった)、こじんまりとした、和テイストの素敵な旅館でした。ただし、客室は分かりません。
そうそう、駐車場に無断駐車よけに置いてあったコーンをつぶしちゃって申し訳ありませんでした!
宣伝しておいたから、許してくださいね。







2011年8月9日火曜日

蝉のぬけがら

8月9日(火)

今朝見つけた蝉の抜け殻です。

2011年8月8日月曜日

立秋、そしてなぜかTemperance(節制)

8月8日(月)

今日は、花びんに萩をプラスしてみたのですが、まったく失念していた「今日は立秋」ということを教えてくださった方がありました。
萩を挿したのは偶然でしたが、「小さい秋み~つけた」という感じになりました。
もっとも今日は蒸し暑く、秋の気配はまだ感じられませんが・・・







と、まあ、ここまでは季節感を出すために急きょ付け足したもので、本当は今日書きたかったのは、季節にも関係なく、お店にも関係ない、タロットの14番目のカードのことです。

13番Death(死神)と15番The Devil(悪魔)というやばいカードに挟まれてTemperance(節制)というカードは存在します。
私の星座であるかに座のカードでもあります。





写真ではちょっと分かりにくいかもしれませんが、カードの女性は手に二つの壷を持っています。
左の壷から右の壷へ、右の壷から左の壷へと、繰り返し「生命のエッセンス」を注ぎ返しているそうです。
このカードは、相反する二つの問題をひとつのものにまとめる「調整」を意味しているそうです。

カードの名は「節制」ですか、私のイメージではむしろ「中庸」といった意味を持っている感じが強いのです。
実は、どういうわけか最近急にこのカードのことをひんぱんに思い出すようになり、心にまとわり付いて離れないので、ここにご紹介することにしました。

自分の星座のカードということもあって、最も好きなカードのひとつなのですが、そのくせどうしてこのカードがかに座なのか分かりかねてもいます。
「中庸」というのはかに座には(少なくとも私には)もっとも苦手な立ち位置だと自覚しているからです。でも、中庸こそがものごとのベストポジションで、だからこそそれが苦手な私たちが目指す目標なのだということなのかもしれませんね。

ちなみにタロットでは、「死神」も「悪魔」も、必ずしも悪い意味ばかりを持っているわけではないようです。
たとえば、「死神」には、新しい転生、古いものの束縛からの解放、再生などの意味もあります。
「悪魔」に対しても、古代エジプト人たちは悪神にさえも親近感を持ち、楽天的な信仰を捧げていたようで、おどろおどろしいイメージはないようで救われます。

ただし、タロットには救いようのないカードがあります。16番のThe Tower(塔)というカードです。
人間の小ざかしい知恵が神の怒りをかって破壊されることを意味するカード、今の私たち人類に何か思い当たる気がしませんか。




2011年8月7日日曜日

鴨亭の庭「絵葉書」ができそうです。

8月7日(日)

徐々に暑さが戻ってきて、蒸し暑い毎日です。
甲子園大会で、試合中の高校生が熱中症を起こすなんてこと、私の記憶では初めてでした。
サッカーの松田選手のこともあり、若いからとか、普段から体を鍛えているからとかと言って安心してはいられないようです。恐いですね。

鴨亭の庭はますます鮮やかさを増してきています。
「絵葉書集」でも作れそうです。


これは、さるすべりです。遠景には筑波山。


ハイビスカスです。六月からずっと花をつけています。


八重の芙蓉です。


以前foxgloveさんからご質問がありましたが、オクラの花は直径十センチぐらいはあります。

2011年8月5日金曜日

定住と旅、親と教師・・・八月の空を見ながら

8月5日(金)

関東平野の中でも茨城は土地の起伏が乏しい。
ここら辺でも、筑波山とそれに連なる低めの山並みから見る角度を少しでもずらせると、見晴るかす広い空である。その空のキャンバスに、今日のような天気の日には、豪快な雲の芸術が描かれる。
力強い夏雲の競演である。

青々とした田んぼの中を通る長い一本道の農道を車で通りながら、時としてそのまま空に吸い込まれてしまうような感覚を持った。

このような感覚、都会では味わうことはできないだろう。

まだ美しい自然がたくさん残る田舎の人は、それを宝だと思い、心の原風景として大切にし、自分がそこに居続ける理由とするのかもしれない。

「ただ・・・」と私は思った。
この景色が美しく、深く、貴重なものであることは否定できないが、ほかのところにも、これと同じぐらい、あるいはこれ以上に美しく、深く、貴重なものは無数にあるに違いない。

住み続ける人に対して、旅人とは、その無数を可能な限り求める者である。

住み続ける人は同一の場で縦に(時間軸に従って)ものを見る人で、旅する人は場所を移動する代わり、ひとつの場所に留まるのは瞬時である。

その両方の人になるのは、不可能である。
適当に折り合いをつけて、時によってどちらかになったり、どちらか一方にこだわったりするだけである。


そこからまた、私の思考は違う枝のほうへ移動していく。
今度は子供の教育についてである。

私は母となり、二人の子供を育ててきた。
お腹にいるときから現在まで、縦の時間で成長を見守ってきた。
それに対して、たとえば中学校の先生は、いろいろな子供のある一定の期間(13歳~15歳)をずっと見ていく職業だ。それぞれの子供のある決まった成長段階にのみ、手を貸していく。
そして短い期間それをやり、送り出し、次の子供たちに関わっていく。

この図式も、住み続ける人と旅する人のそれととてもよく似ている。

それぞれにはそれぞれの味わいがある(だろう、きっと)。

2011年8月4日木曜日

ムカデ騒動、女子会、ひぐらし・・・八月になって

8月4日(木)

八月に入ってしのぎやすい日々が続いています。
でも週末からはまた暑さがぶり返すそうです。熱中症に気をつけましょう。


「ムカデ騒動」

二日の真夜中過ぎ、その事件は起こりました。
首筋に何か気配を感じた私は、反射的に手をそこにもっていき、触れたものをすっ飛ばしました。
何かがいたことは確かなので、電気をつけてそれを確かめようとしました。
そのとき、横に寝ていた娘がむっくりと起き上がり、頭を抑えて「痛い、痛い」と騒ぎ始めました。
それと同時に掛け布団の中から私の振り払ったもの(=一匹のムカデ)がなんともいやらしく身をくねらせながら、すたこらと逃げていくのが目に入りました。

私たちはそれぞれ、頭と首筋をムカデに這われてしまったのです。

まず考え付いたのは虫刺され用の薬を塗ること。
軽傷だった私はそれでとりあえず収まりました。

でも、娘は相変わらず痛がり、とても眠れる状態ではなさそうでした。
そこで、頼ったのがインターネットでした。

サイトによると、ムカデの毒はたんぱく質なので、熱を加えて変性させるのがよい、43度以上の少し熱めのシャワーを患部に当て続け充分暖めた後、弱酸性のシャンプーで洗うのがよい、冷やしたり、毒を吸い出したりするのは却って逆効果だとのことでした。

さっそく娘に伝えてそのとおりやらせてみました。
効果はてきめん、シャワーを当てているうちに痛みはだいぶ治まり、シャンプーして出てきたあとは、「まだ少し痛いけど、眠れそう、」と言って布団に入り、すぐ寝息をたて始めました。

翌日には、頭にはまだぶつぶつがありましたが、痛みはほとんどなく、今日は傷跡がかゆくなってきたそうです。

ムカデは刺すのではなく咬むのだそうですが、たとえ咬まれなくても皮膚の上を這われただけで、足によって傷つけられ、その傷に毒がすり込まれていくそうです。
私たちは這われただけだったようで、大事にならずにすみましたが、ひどいときには一週間ほどひどい痛みが続くこともあるそうです。

どちらにしても、いやな虫です!



「女子会」

ようやく私も「女子会」デビューしました。
ママ友の集まりですが、純粋な仲良し会でした。
お酒も入って、好き勝手なことを話し、大きな声で笑って、とても楽しく過ごしてきました。
「女子会」のよさは、その大胆かつ赤裸々な話題でしょうか?
そういえば誰も、人の悪口は口にしませんでした。
それも、爽快な後味の理由のひとつでしょうか。


「ひぐらし」

友人がメールで
「お宅では、ひぐらしが鳴いていますか?私はひぐらしの声にとても癒されるので、もし聴かれるのであれば遊びに行きたいです。」
と尋ねてきました。

普通は晩夏に鳴くはずのひぐらし、今年は七月中からその声を耳にしていました。
しかも、うちのひぐらしは朝から鳴いているのです。
ほかの、ミンミンゼミやジージーゼミの鳴き声に混じって。

友人にそう返事をしたら、
「ほかの蝉と混じって鳴いてるの?ほかの蝉の鳴き声はノーサンキュー。」
とのことでした。
さて彼女は遊びに来るのかなぁ?

2011年7月31日日曜日

またも庭の草花

7月31日(日)

今花壇ではひまわりが目立ち始めていますが、そのほかで目に付くのが百日紅(サルスベリ)と芙蓉の仲間たち。

まずは驚くべき、畑の大輪の花。





オクラの花です。

そして芙蓉の仲間たち。











始まりはとても暑く、最後は雨ばかりで涼しかった異常気象の7月にお別れです。

2011年7月25日月曜日

「見ていってくださぁい。」

7月25日(月)


昨日は大安で、お宮参りのかわいいお客様方がちらほら。

白づくめの晴れ着にくるまれた、無垢そのものの赤ちゃんはもちろんのこと、なりたてお兄さんやなりたてお姉さんもまた愛らしいものです。
独り占めしていたお母さんを赤ちゃんの取られてしまったことへの同情も手伝って、周りはなおさら気を遣います。ですから、上の子がご機嫌よくしてくれていることが、家族の平和にとってとても大切なことなのです。

それはそれとして、赤ちゃんと一緒に来た昨日の坊やは、とてもかわいらしくて印象に残りました。

私がお給仕を終えて部屋から出ようとしたら、
「ちょっと見ていってくださぁい。」と声をかけられたのです。

見て欲しかったのは、坊やの愛読書(?)、プラレールのトミカのパンフレットでした。
ほんとうに愛読しているらしく、かなりよれよれになっています。
その商品説明の最初に書いてある「トミカ」という文字の大きさが彼の関心事でした。
「トミカ」という文字を指差しては、「ずいぶんちっちゃいトミカだねぇ。」とか、「こっちは大きいトミカだねぇ。」
とか私に言うのです。
「わぁほんと!ちっちゃいわねぇ!」などと、しばらくお相手をしていたら、坊やのお父さんから、
「もう大丈夫です。(彼は)気が済んでいます。ありがとうございました。」とお許し(?)が出ました。
私も昔を思い出して一緒に楽しんではいたのですが、お客様はお客様で気を使ってくださったのでしょう。

孫でも授からなければなかなか接することのできないかわいいお客様とのちょっとしたやり取りも、この仕事の楽しいところのひとつです。

2011年7月23日土曜日

ほおずき

7月22日(金)


昨日今日と、涼しくて過ごしやすい気候でした。
切花が長持ちしてくれて助かっています。

今日の傑作はこちら。


ほおずきです。
これ、とても苦心の作。
これだけの丈のほおずき、普通はこんな風にきちんと上に向かって立ってくれないのです。
ちょっと技を使いました。
そうしたら結構すがた良く挿せたので、みなさんに公開(見せびらか)しました。

もうすぐケイトウ(鶏頭)も咲きそうです。




2011年7月18日月曜日

なでしこにしびれた日

7月18日(月)

朝起きたら、とびきり嬉しいニュースが飛び込んできました。
なでしこジャパンの快挙です。

今日一日、テレビはその話題で持ちきり。
私も、ひたむきにサッカーを愛し、それをプレーに昇華させて栄冠を勝ち取った彼女たちにしびれました。
勝ち方もよかったですよね。
点を奪われては奪い返し、また奪われてはまた奪い返し、最後はPK戦でのあの集中力!
一番今の日本人に勇気を与える勝ち方でした。

世界に向けての、「日本の女性を見よ!」宣言でしたね。

澤さんの強いリーダいシップ、日本の政治家にもぜひ欲しいものです。
だからと言って、たとえば澤さんが、これから先国会議員に立候補したり、たくさんのコマーシャルに出たりはしないで欲しいと思います。

「サッカーが好き」というホームポジションから一歩も離れない生き方をしていること自体がかっこいいのですから。
彼女たちが今後マスコミによってスポイルされないことを祈るばかりです。
はげたかのように寄ってくる様々な誘惑なんかに負けないで、これからもひたすら大好きなサッカーに没頭していただきたいと思います。

おめでとうございました!

2011年7月15日金曜日

鴨亭の玄関から

 7月15日(金)

毎日ほんとうに暑い日が続きます。
朝一番の仕事は花活けと掃除ですが、もうその頃からじりじりと焼かれるような感じがします。
今日、店の玄関を最初に開けたとき、木の枝がアーチのように組み合わさり、それがまた緑のレースのようにも見え、とてもきれいだったので、写真に撮ってみました。

また上の写真は、龍正製の竹の花入れに活けた花々。
今年初めて咲いたひまわりをさっそくあしらってみました。
がぜん夏ムード全開です。

皆様、熱中症にはくれぐれもお気をつけください。






2011年7月12日火曜日

むくげ

7月12日(火)




むくげが満開です。
朝雨戸を開けると同時に、この写真のような可憐な花たちが、朝日に照らされてまぶしく視界に入ってきます。

冬の椿と共にお茶花の代表格ですが、お茶では一種活けにされることが多いようです。
でも、こんなふうに戸外で伸び伸びと育ち、たくさん花をつけているのもよいものです。

ところで義母は、この花を「はちす」と呼びます。
ネットで調べてみたら、どちらも正解。「はちす」はむくげ」の別名だそうです。

アオイ科で、芙蓉などとも同類。
オクラとも同類で、オクラの花を見たときとてもくっきりと美しいのでびっくりしましたが、確かに同じような形状です。

2011年7月11日月曜日

怖いアジサイの話とシソご飯の話

7月11日(月)


一週間ほど前から、蝉の声が聞こえ始めました。
梅雨明けと同時に、空や雲や山が、ハワイや沖縄に負けないくらいの鮮やかさで迫ってくるようになりました(けっして誇張ではなく)。

あまりの暑さに、このところ仕事が終わると同時に仮死状態になっておりました。

梅雨から夏へと季節が交代すると,アジサイの季節も終わりに向かいます。
雨にぬれてあんなにもみずみずしかったアジサイが、色褪せ、しおれていきます。
そんな中で昨年、いつまでもいつまでも枯れない不思議なアジサイの花がひとつありました。
他のアジサイがしおれて枯れていく中で、その花だけが、いつまでもいつまでも時間が止まったように咲き続けていました。
最初は「しぶといなあ」と思ってみていた私でしたが、だんだん不気味に思うようになってきました。
最後はどうしたんだっけか・・・
たぶん、相当たってから、切り落としてやった気がします。


シソご飯の話は別に怖くはありません。
うちの庭には毎年、青シソも赤シソもどっさり生えてきます。
どちらも使い切れないくらいです。
今も庭の一角は一面のシソで足の踏み場もないほどです。

今日は、食欲をそそるためシソご飯を作りました。
シソをたくさん摘んできて、千切りにし、塩で揉んであくを抜きます。
それとご飯を混ぜてできあがり。
味つけはシソを揉んだときの塩のみ。

これがさわやかなシソの香りと程よい塩味でとてもおいしいのです。

夏だけの贅沢です。

2011年7月4日月曜日

オオムラサキ

7月4日(月)  (今日はアメリカの独立記念日ですね。)

7月になってからの話題をいくつか・・・


「気配」
草むらを歩くとかすかに音がする
それはほんとうに小さくて、風が通ればかき消されてしまうほどの音だ

私は知っている
それはたとえばバッタの赤ちゃんだったり
カナヘビだったり
小さな生き物たちの立てている命の音なのだ



「菊」
菊といっても花のことではありません。
菊の葉っぱに目を留めたのです。
昨日の朝雨戸を開けると、いつの間にかすっかり青々と重厚に茂った菊の葉っぱが目に入ったのです。
菊の生命力は、花はまだまだずっと先でも、ちゃんと準備を始めているんですね。



「オオムラサキ」
昨日の夜、仕事を終えて家に戻り、ドアを開けたら、玄関の明かりに向かって飛び込んできたものがありました。
夫が捕まえて大声でみんなに告知。
「おーい、これオオムラサキだよ!日本の国蝶だよ!」

かなり大きい蝶でした。
逃がしてやったら、今度は窓に外側から止まっていました。



「グラジオラス賛歌」
自分で言うのもなんですが、義母から店に飾るお花を任されて4~5年がたち、さすがにこのごろは前より上手に生けられるようになりました。
今日も自分で生けた花瓶の花をうっとりと眺めていたのです。
なんてよい形!上手に生けられたなあ。

そして、グラジオラスの穂先のすっと伸びていく美しさを見ているうちに悟りました。
私の生け花の腕がどうであろうと、グラジオラスはそれ自体が美しいのだと。

2011年6月26日日曜日

愛すべき「呑み助」考

6月26日(日)


今日もいらっしゃいました。
愛すべき「呑み助」さんが。
呑み助さんは、何かにかこつけてまずお酒を飲もうとします。

今日の呑み助さんは、お孫さんのお宮参りにかこつけて一献傾けていらした両家のおじい様方。
おめでたい席ではよい気分でお酒も進みます。

実家も婚家も幸い(?)お酒には寛大な家だったので、私も遠慮することなくお酒を飲んできました。
さまざまな酒席を体験し、よい酒飲み、悪い酒飲み、いろいろ見聞きしてきました。
朗らかになる人、怒り出す人、泣き出す人、説教する人、絡む人、酒乱に近い人・・・・
でも、世の中うまくできていて、たいがいの人が愛すべき「呑み助」さんです。

育ってきた環境から、私も私の家族も「呑み助」だらけだし、基本的には「呑み助」には暖かいまなざしを向けている自分に気付いています。

他人に迷惑をかけない楽しいお酒なら、私は大いに奨励します。
明日も愛すべき「呑み助」さんに会えますように・・・

2011年6月24日金曜日

待った無し「梅しごと」

6月24日(金)


梅10キロが届いて、さっそくお店用の梅ジュースを仕込みました。
さわやかな梅の香りに包まれながら、大きな果実酒用広口ビン3本を仕上げました。
飲み頃になるのは11月。
知る人ぞ知る我が店の人気ドリンクです。

庭の梅の実も、たっぷり10キロは取れました。
こちらは義母が梅干にするそうです。
お願いして、1キロ分けてもらいました。
果実酒用ブランデーをもう買い込んであるし、氷砂糖も去年の残りがあるんです。
こちらは自分の梅酒用、飲み頃は3か月後、今から楽しみです。

梅が手に入れば、梅しごとはもう待った無しです。
でも、やっただけのことはある梅雨のお楽しみ。


「梅しごと」という言葉を知ったのは、映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー) 第二番」で一躍有名になった佐藤初女(はつめ)さんの著書「おむすびの祈り」だった気がして、一部読み返してみました。でも、この本には出ていませんでした。はて、どこで見たのだろう???

ところで、この本の中で佐藤さんが語られる梅干づくりは、大変手間がかかり心もこもったものです。私のを同じ「梅しごと」と呼ぶのも恥ずかしい感じですが、私の場合、まだ初心者ということで許していただきましょう。

2011年6月20日月曜日

もれなくレタスがついてくる

6月20日(月)

義母が作っている畑(家庭菜園)で、今レタスが最盛期を迎えています。
ありがたいことではあるのですが、毎日というか毎食レタス攻め。
それでも食べきれず、一雨ごとに溶けてしまうレタスも続出し始めました。

そのため今うちでは、どこかへ出かけるといえばお土産にレタス、誰かが用事で来ればお土産にレタスという状態です。
レタスの締め切りはもうすぐですが、次にはインゲン、トマト、ゴーヤが控えているそうです。

ちなみに、これらの野菜を毎日工夫して食卓に乗せるのもなかなか大変なんですよ。

2011年6月12日日曜日

お買い得「セレブ」

6月12日(日)

今日、再生紙使用のお買い得トイレットペーパーに、「セレブ」という名前が付けられているのを見ました。

2011年6月11日土曜日

久保田早紀の「異邦人」を思い出す

6月11日(土)


大震災から3か月たちました。
テレビや新聞でも特集を組んでいましたね。

直接にはほとんど被害を受けなかった私たちには、多くの部分で日常が戻ってきています。
でも、報道を見ると、まだまだ次の一歩を踏み出すまでにいたっていない方々がたくさんいるのですね。長くて厳しい道がこれからも続きます。
不用意な思考や行動で復興の足を引っ張らないように、直接政治に携わっていない私たちも心していかなければと、また気持ちを引き締めました。



朝の買いもので、いつものスーパーへ行ったときのこと。
スーパーの入り口で、おじいさんと一緒に買い物に来ていた二歳ぐらいの男の子が、両手を上のほうに伸ばして飛び跳ねんばかりにして、何か興奮して叫んでいました。
最初はぼうっとしていた私ですが、その子のあまりにも真剣な様子に、なんだろうと、その視線の先に目を向けました。
そうしたら、ツバメです!
スーパーの入り口の軒下高いところに二羽のツバメがピーピー呼び合ったり、飛び立ったり、戻ってきたりしていたのでした。
それを見て、その男の子はそんなに興奮していたんです。
子どもって、なんていいんでしょう。
エネルギーの出し惜しみをしようなんて考えもしない、自分の発見にからだじゅうで驚いたり、喜んだり、です。



そして、久保田早紀の「異邦人」の出だしの歌詞を思い出したわけです。
エキゾチックな前奏に続く、

子どもたちが 空に向かい 両手を広げ
鳥や雲や夢までも つかもうとしている

という歌詞です。


その男の子に、
「そうやって君も、その手で夢までつかまえるんだよ!」
と、心の中でエールを送ったのでした。

こういう光景を見ると、朝からいい気分。
一日いい気分で過ごすことが出来ました。

2011年6月10日金曜日

カリカリ小梅、作っちゃいました。

6月10日(金)


ちょうど一週間前、生協で買った小梅を塩漬けにして、カリカリ小梅を仕込みました。
ネットで作り方を調べて、子どもたちにも手伝ってもらい、丁寧に梅を板ずりしました。
そして、熱湯消毒した卵の殻をガーゼで包んで一緒に入れました。
カルシウムが、梅をカリカリにしてくれるらしいのです。

見事に翌日には梅酢が上がり、何を勘違いしたのか、息子はもう試食してしまっていました。
青梅は毒だと聞いていたのですが、幸い何事もありませんでした。

そして一週間、間違いなくもう解禁です。
カリカリカリカリ、心地よい歯ざわりの小梅漬けが出来上がりました。
梅干と比べて、とても簡単!

でもすぐなくなってしまいそうです。

2011年6月9日木曜日

買い物バスケットの中身

6月9日(木)


スーパーで買い物をしていたら、少し年上の「お姉さま」に声をかけられました。
「それ、どうやってお料理するの?」

私のバスケットの中にはブリの切り身。
ブリっていったら照り焼きでしょうヨ。
そう思って、そう言いました。

「照り焼きってどうやって作るの?」
「かくかくしかじか・・・」
「煮たり出来ないの?」
「出来ないことはないけれど、それならあらを買ったほうがいいんじゃないですか?」
「ブリってくさいんでしょう?どうやって臭みを取るの?」
「かくかくしかじか・・・」
・・・
こうしてやっとブリ談義が終わりました。


そうしたら、今度は、
「それ、きんぴらにするの?」

私のバスケットの中には二本のゴボウ。
実はこれはお店で使う食材なのです。
が、面倒なので、
「そうです。」と答えました。

そうしたら、
「へぇぇ、偉いわね。」
とほめられました。

最初から最後まで「???」の会話でした。

それにしても、人の買い物バスケットの中身ってそんなに気になるものですかね。

確かにレジに並んでいるときは、暇に任せて前の人の買い物の品々をぼうっと眺めていることはありますけれど。

2011年6月1日水曜日

黄金の収穫

6月1日(水)

麦が実りの季節を迎えています。
時々買い物で通る、私が勝手にフラワーストリートと呼んでいる道があります。
車道と畑の間に花が植えられていて、季節によりさまざまな花が咲き、目を楽しませてくれる通りです。
ふだんは花が主役のこの通りですが、今はなんといっても目を奪うのは麦畑のほうです。
元気よく空に向かって突っ立った無数の麦が、一面を黄金に染めているからです。
お天気のよい日には、それこそまばゆいばかりです。ほんとうに豪華!

稲穂は実るにつれ、だんだん頭を垂れていかにも重そうになりますが、麦の穂は、収穫前にはさすがに穂先だけはかしいでいるものの、直立してもっと伸びやかな感じです。

麦の秋を過ぎると、いよいよ季節は梅雨を経て、夏へと向かいます。

2011年5月31日火曜日

鴨亭の「野分のまたの日」

5月31日(火)


今朝の鴨亭は、木々の枝や葉が一面に雑然と落ちており、趣があるというよりは、掃き応えがあるといったものでした。

今日もまだ、名残の風が冷たく、一日中周りの緑が揺れていました。

また明日からは下り坂とか。

一年中で一番素敵な月が、今日で終わってしまいます。

皆様の五月はいかがでしたか?

私たちにとって、新しい月が、また一歩、前に踏み出すための時間となりますように。

2011年5月30日月曜日

震災結婚、震災離婚

5月30日(月)

今回の震災で、結婚ブームが起こっているそうです。
今まで体験したこともない非常事態で、人間同士の絆の価値を再確認した人がたくさんいたということだと思います。
希薄な人間関係に危機感を抱いたという人もいるでしょう。
自分もかけがえのない存在を持ちたいし、かけがえのない存在になりたい、と思った人も多いと聞きます。

その一方で、離婚も増えたそうです。
平和で何事もなかった日々には隠れていた真の人間性が、今回の事態で暴露され、愛想をつかされたということらしいです。非常時にこそ、人の本性があらわになるということでしょう。

もちろん、本性があらわになって、深まった絆もあったでしょうし、断ち切れた絆もあったでしょう。
どちらにしても、自分の人生を見直すよい機会と捉えていくしかないでしょう。

おもしろいことに、今回の大災害で自分が変わったと思うのは、明らかに女性のほうが多いようです。女性の感性のほうがより柔軟で敏感だという証拠だと思います。
延々と続いてきた男性中心の社会から、最近やっと女性がしっかりとしたアイデンティティーを築き始めてきていたときだけに、これからますますその傾向が強まっていく予兆ではないかと、私は捉えているのですが。

今回目覚めた女性たちのパワーで、世の中が変わっていくのではないかと期待しています。

2011年5月29日日曜日

母になりたかった(1)

5月29日(日)

台風二号は温帯低気圧に変わったものの、こちらは夕方から雨風が非常に強くなっています。
ガタガタとガラス窓を揺らすのは強風か、それとも地震が来ているのか、と考えながらお風呂に入っていたら、突然、台風と地震がもし同時に来たら???なんて事を考えてしまいました。
そんなことになったら、なんという恐怖でしょう!
でも、有り得ない事ではないのですよね。


さて今日も、お店に関係ないことを少し。

私が昔からなりたいと思っていたものは、実は「お母さん」でした。
「結婚したい」を通り越して、「お母さんになりたい」でした。
未婚の母でもいいとかではなく、結婚が遅くてたとえ子どもが産めない年齢になってしまっても、里子をもらってでもお母さんになりたかったという意味です。
子どもができなくて、代わりに犬を飼うとかいうご夫婦もたくさんいますが、私はあくまでも子どもを育ててみたかったのです。
幸い子宝に恵まれて、里親にはなりませんでしたが、どうしてそんなにお母さんになりたかったかというと、それは多分、私が「教育」という作業にすごく関心があったからだと思います。
ペットを飼うことと人間を育てることとは根本的に違います。
「教育」は人間に特有のもの、犬には「しつけ」はあっても「教育」はありません。

きわめて人間的な作業である「教育」に、やっぱり私は興味があるのです。
その「教育」が、我が子に対してうまくできているかどうかというと、それはちょっと疑問ですけれど・・・

2011年5月27日金曜日

臨床道化師(クリニクラウン)

5月27日(金)


台風二号の影響で、お天気が下り坂です。
関東・甲信越地方はそのまま梅雨入りしてしまいました。

どんよりとした空を眺めていると、気持ちもお天気に引っ張られてしまいます。
なんとなく憂鬱な気分をどうしたら明るくできるのでしょう。

心のじめじめへの特効薬は?と考えたとき、二・三日前にテレビで観た「クリニクラウン」を扱った番組を思い出しました。

「クリニクラウン」は、小児病棟を回り、子どもたちを励ますピエロのことです。
ピエロは定期的に子どもたちの病室を訪れ、道化で子どもたちを笑わせたり、一緒に遊んで喜ばせたりします。
その番組に出てきた子どもたちはみんな小児ガンを患っている子どもでした。
とてもやせていたり、髪の毛がなかったり、管をつけていたり・・・
でも、その子どもたちが、クラウンと遊んでいるうち、ベッドの上でピョンピョン飛び跳ねて大喜びしたり、体中を震わせて笑ったりするようになるのです。その様子は健康な子どもたちと何も違いません。子どもは子ども、みんな同じなんだと、改めて思いました。
子どもたちが心の底からの笑っているのを見、その笑い声を聞いているうち、心がほかほか温かく、明るくなっているのに気付きました。

そう、子どもたちの笑い声こそが心の特効薬なんですね。


クリニクラウンには簡単にはなれないそうです。
道化師としての表現力に加え、子どもの権利擁護者としての視点や、子どもの教育・医療の基礎知識などが必要となるからです。

このような仕事にもっと世の中の関心が高まり、子どもたちの笑い声がもっと聞こえるようになると、私たちの心もきっと明るくなるに違いありません。

2011年5月26日木曜日

手当て

5月26日(木)

少し風邪をひいてしまったようで、頭が重くて二日間ブログをサボりました。
昨夜、体がだるくて、娘に背中と腰を押してもらいました。
そうしたら、今日とても調子がよくなりました。

文字通りの「手当て」をしてもらったわけです。
このハンドパワー、ほんとうに強い力が備わっている人もいますが、普通の人でも暖かい手を患部に置いてもらうだけで気持ちのよいものです。

人の手のぬくもりが持つパワー、ほんとうに大したものです。

2011年5月24日火曜日

15歳の志願兵

5月23日(月)


今朝車のオイル交換にガソリンスタンドへ行きました。

作業が終わるまで中でお待ち下さいと言われ、待合室に座っていたら、老齢のご夫婦が入っていらっしゃいました。そのご夫婦はガソリンスタンドの社長さん(もしかしたら先代の社長さん)とお友達のようで、社長さんも待合室に出て来られて、4人で向かい合って座るような羽目になりました。

話はいつしか太平洋戦争のことになりました。お二人とも軍隊の経験があり、いろいろ大変な経験をされたようでした。

軍隊でどこを殴られたかという話では、お一人は頭をたんこぶだらけになるほどたたかれたそうです。社長さんは頭はたたかれなかったけれど、棒でお尻をたたかれたそうです。いわゆる「バッターってやつだよ。」と。
(私は息子から「読んでみれば。」と渡された『群青に沈め』(熊谷達也・角川文庫)という本を読み始めていたところだったので、この懲罰のことは知っていましたが、そんな恐ろしい懲罰を実際に受けた人が目の前にいるという「リアル」に息を呑む思いでした。)

私は最初は黙って聞いていただけでしたが、頭を殴られた方の奥様が私のほうを向いて、「殴られて死んでしまった人もいたそうですよ。それでも表向きは病死だって報告されてね。・・・当時の軍隊の人はどうしてそんなことしたんでしょうねぇ。」とおっしゃるので、「ほんとですね。味方が味方を痛めつけたってしょうがないですよね。」と話に入っていくことになりました。

社長さんは志願して十五歳で海軍に入ったと言うので、「十五歳で軍隊に入れたんですか?」と私が驚くと、「志願したのは十四歳のときだよ。」だそうです。
まだ、中学生の歳ではないですか。まだ手の届きそうな過去に、そんな幼い子どもたちまでが自ら志願して軍隊に入り、厳しいというより不条理な訓練を受けていた時代があったのですね。

もっといろいろ訊いてみたいような、問わず語りで話してくれることだけを聞くべきなのか(きっと誰にとっても思い出したくないいやな思い出に決まっているから)迷いながら、結局私からは何も訊けずに終わってしまいました。

けれど、私はもっと知りたい、戦争を知らない世代は、戦争を知っているこのような方たちがいなくなってしまう前にもっといろいろなことを聞いておかなくてはいけない、と改めて思いながら帰途に着いたのです。

2011年5月22日日曜日

「キャッ!」

5月22日(日)

午前中は昨日に続いて初夏のさわやかな天気でしたが、予報どおり、午後には荒れ模様になりました。気温も夕方からかなり下がり、半袖では寒いぐらいでした。
せっかく大きな花を咲かせたシャクヤクも、この風雨でかなり頭を垂れてきてしまいました。(まあ、身の程に合った花を付けるべきなのでしょうけれど。)

今回の大地震で、玄関の近くの石が割れ、裂け目ができました。
その穴を気に入ったようで、なんとヘビがおうちにしてしまったのです。
玄関を出ようとするとよく、上半身または下半身を穴から出して、ひなたぼっこしているところに出くわします。
もちろん、「キャッ!」と思います。顔を出しているときは、向こうで気付いてするすると穴に戻っていきますが、この間は下半身だけが表に出ていたので、一向に私の気配に気付いてくれません。
仕方ないので、夫作「ヘビつかみ棒」の先でちょんちょんと突付いてご退散いただきました。

先日「金のなる木」を剪定して、切り落としたところを空いていたプランターに挿しておきました。
ちょうどアロエを株分けしたときの土が残っていたのでそれを使いました。
本当に生命力の強い植物で、水栽培のもプランターのも元気です。

「ヘビ」に「金のなる木」。
どちらもお金が貯まるっていうのですが、御利益はいかに?

2011年5月21日土曜日

花尽くし

5月21日(土)


鴨亭の庭は、花でいっぱい。

これは店のホールに飾った葵とユキノシタ。

 

















これは客室の床の間に飾った花瓶。
葵、菖蒲(白)、さつきなどを寄せたもの。



これは庭に咲いたしゃくやく。もったいないので切花にしない。
蕾を持ってから咲くまでに何日もかかった。
開花したのは昨日。           


l今日は視覚的なブログにしてみました。

2011年5月20日金曜日

筑波山が守ってくれている

5月20日(金)


友人が知らせてくれました。
つくばの放射線の数値は、千葉や埼玉よりも低く、新宿とあまり変わらないそうです。

確かにこのあたりは筑波山があるため、お天気や風向きも周囲と違うということがよくあるのです。
筑波の神様の結界でもあるのでしょうか?

頼もしいお山です。
いつも守られている気がします。


さて、前回・前々回に続いて庭の植物の話題です。

うちの庭に葵が咲き始めました。
葵は葉も花も色が濃く、茎も太くまっすぐで人間の背丈ほどにもなる生命力に溢れた植物です。
それだからこそ、徳川家の家紋にも選ばれたのかもしれません。
葵を、庭のほかの花と同様にお店に飾っていたところ、
「葵は店に飾るものではない」
と言われたことがあります。
その理由は、徳川政権が倒幕され滅んだからだそうです。

気にする人は気にするのでしょうが、私はその後も飾っています。
何しろ三百年の長きにわたって栄えた政権なのですから。
それだけ栄えればじゅうぶんです・・よね。


さて、葵といえば源氏物語では、光源氏の最初の奥さん。
彼女は六条御息所の生霊に取り付かれて亡くなってしまうのですが、そんなはかない女性になぜ、生命力の強い印象の葵という命名をしたのか、私には不思議でした。
そうしたらなんと、葵というのは彼女の名前でもなんでもないそうです。
源氏物語の「葵」帖に彼女中心の話が載っているから、後世の読者が便宜上付けた名前なのだとか。
でも、一旦葵上と呼ばれてしまうと、なんとなく葵にまつわるイメージがそのまま彼女のイメージになってしまいますよね。葵のすっとした立ち姿が、彼女のよそよそしさ、打ち解けなさとちょっと重なるのかもしれません。

その点、言い得て妙なのは、「末摘花」、私的によいイメージなのは、「夕顔」「花散里」「朧月夜」などでしょうか。

2011年5月19日木曜日

タンポポはきれい?

5月19日(木)


久しぶりに早寝早起きしてみました。
この季節、確かにこの生活パターンの方が心身によいかもしれません。
以前夫にも、「考え事は朝するもの。」と言われたことがあります。
朝のほうが気持ちが前向きだし、袋小路に陥っていた思考にも新たな道が見つかることがよくあるからだと思います。
夜書いた手紙は、必ず朝見直してから投函しなさい、ということも一般的によく言われます。

ただ私のような「ねぼすけ」には、継続は難しい気がします。
強い意志の力が必要だと思われます。


Foxgloveさんjから「庭仕事」についてコメントをいただきました。
庭仕事とはきわめて自分勝手な自然破壊であり、雑草との終わりなき戦いは適者生存のむき出しの自然との闘いであるとおっしゃっていました。


このコメントから思い出したことがあります。
以前私が
「うちの庭、今タンポポがいーっぱいなの。」
とうれしそうに話したときのこと。
義母に、それは庭の手入れをぜんぜんしていないということで、とてもはずかしいことなのだと返されました。そして、今のうちに花をちょん切っちゃえ、綿毛になると種があちこち飛んでやっかいになるからと言われました。日々庭仕事に追われ続けて一年を過ごしている義母だからこその見解でしょう。

でも首をちょん切れって、それタンポポの処刑命令?

その後も毎年タンポポは咲き続け、今年もやっぱりあちこちに鮮やかな黄色い花を咲かせています。
そして先日娘が無邪気に一言。
「わーっ!たんぽぽがきれい!」

2011年5月17日火曜日

掃き掃除

5月17日(火)


アカシアの花が一面に散って、鴨亭の庭は白一色。
周り中をアカシアに囲まれているのです。

つい一月ほど前、こうやって桜の花びらを掃き寄せていたなと思いながら、庭掃除をしていました。
鴨亭は木で囲まれているので、ほとんど一年中掃き掃除は欠かせません。
敷地が広い上、雨の翌日などは落ち葉が張り付いてしまって、結構な力仕事になります。

広々とした空間と、美しい自然。
そして果てしなく続く掃き掃除。草刈りと草取り。
鴨亭ならではの苦労話です。

2011年5月16日月曜日

百獣の王コロ

5月16日(月)


パソコンのトラブルで、数日ブログを書くことができませんでした。

この週末は仕事もプライベートも忙しく過ごしました。
季節はどんどん進み、筑波山の緑も日々その厚み、深みを増していきます。
日差しも強くなって、光が鮮やかです。

筑波山の緑と反比例して、飼い犬のコロの毛皮はまた一段と薄くなりました。ところどころ冬の毛が残っていて、表面がでこぼこしています。

毎朝カーテンを開けると、オレンジ色のくちばしが特徴的なムクドリが、コロのえさや水を狙って集まっています。
コロも、イノシシには夢中に吼えるけれど、小鳥たちには寛容で、近くに寝そべったまま彼らの好きにさせています。こんなときのコロは、草原の中に寛ぐ百獣の王ライオンを彷彿とさせます(私がそう言うと夫は鼻で笑いますが)。

それから、今年はムカデを良く見ます(ゾッ!)。
まだ赤ちゃんですが、これが大きくなってあの不気味な赤と黒の大きな害虫になると思うと恐怖です。

鴨亭の花が、毎年季節によって同じ移り変わりを繰り返していくように、虫も同じ移り変わりを繰り返していきます。こちらはちょっと迷惑な・・・
でもそれは、まったく一方的な人間の都合ですね。

2011年5月11日水曜日

雨の休日

5月11日(水)

二週間ぶりの休日は一日中雨になってしまいました。
うちの犬も、雨だから玄関に入れてくれと騒ぎ、一日中玄関で寝そべって過ごしていました。
ところが夕方になるとそれに飽きたのか、トイレに行きたくなったのか、今度は外へ出せと要求してきます。
外へ出してしばらくすると、今度は中に入れろ。入れてやるとしばらくして外へ出せ、どんどん要求はわがままになってきます。堪忍袋の緒が切れて、どんなに外でワンワン吼えていてももう入れてやらないことにしました。今はあきらめたのかおとなしくしています。

日記も家計簿も、二週間ためると結構な量になってしまいます。
分かってはいるのだけど・・・

2011年5月9日月曜日

眠れない夜に

5月8日(日)深夜


寝る前にうかつにもコーヒーを飲んでしまったせいでしょうか、頭が冴えて、まったく寝られなくなってしまいました。
布団の上で、本を読んだり数独を解いたりいろいろやってみましたが、ぜんぜん眠くなりません。
飼い犬がイノシシか何かに向かって激しく吠え始めたのを期に、とうとう起き出してしまいました。

今はウイスキーを1杯だけ飲んで、眠くなるのを待っているところです。
サボってしまったブログでも書いているうち、眠くなるだろうという算段です。

一年のうち何回か、このようなことが起こります。
もう少し若いときは、録画してあった『タイタニック』を全部観てしまったりと、無茶なこともしましたが、今はもう、翌日もつだろうか?とそればかり心配です。

でも、こういうときは、普段考えても見なかったことを考えたり、忙しさにかまけておざなりにしていたことを思い出したりもします。
今も、自分のことばかり考えて周りを見ていなかったと気付いて、反省していたところです。

やすらはで 寝なまじものを 小夜ふけて
傾くまでの 月を見しかな

というところでしょうか。
そういえば、夕べは三日月でした。

それではおやすみなさい。

2011年5月7日土曜日

根を張って生きる

5月7日(土)


一日中、うっとうしいお天気になってしまいました。
筑波山の頂上付近には終日雲が絡み付いており、たとえ山に登っても何も見えなかったと思います。

昨日も書いたのですが、危険だと分かっていても、不便だと分かっていても、それでも今まで自分が住んでいた場所を離れられないということについて、何か私の中でまだ引っ掛かっているのです。そしてまだそれを整理しきれないでいるのです。
ひとつには「ほかに行くところがない」という理由があるでしょう。
知り合いのいない場所では生きられない。
コミュニティーとしてのつながりが希薄になってきたとはよくいわれますが、それがまだ地方では残っていて、特に高齢の方々の間では機能していたのです。ですから、コミュニティーから切り離された形でよその場所で生きていくこと自体が彼らには不可能なのでしょう。
また、自分の生きてきた場所そのものへの愛着ということもあるでしょう。

世界中を飛び回っている人たちがいる一方で、自分の生まれた土地で一生を過ごす人もいるという事実。別に、外へ行くことを禁じられているわけでもないのに、外へ行こうと思わない人たちが、世の中にはたくさんいますね。
今回の被災で、少しだけ、どうしてなのか判りかけてきたような気がします。

私自身が、生まれ育った土地から見知らぬ土地に移り住んで、「よそもの」と見られ続けてきましたから、根っこがあるようなないような・・・
しっかり根を張ったほうがいいのでしょうか、それとももっと自由に動けたほうがいいのでしょうか。

それは多分それぞれの人の考え方によるのですね。
どちらも「あり」。
でも、ジプシーなどと違って、それからユダヤ人とか、世界中にチャイナタウンを作ってきた中国人なんかとも違って、自分の生まれた土地にどっしり根を張る生き方のほうが、より日本人らしいのかもしれません。農耕民族だからとよく言われますけど。

2011年5月6日金曜日

寒い立夏となりました。

5月6日(金)

季節はどんどん進みます。
暦の上では夏になりました。
気が付けば、震災当時ダウンジャケットを着ていた私も、おとといには半袖で過ごしていました。
それだけ時間が刻まれたのです。

でも昨日の新聞には、まだ電気も水道も止まったまま生活を続けていらっしゃるご家庭の記事が載っていました。さまざまな理由で、ご自分の家から離れられない方たちもいらっしゃるのです。

不自由さの違いはあるとしても、それは私たちとて同じ事。できることなら、放射性物質の心配が全くないところで初夏を満喫したい。でも、ここに留まるしかない、行くところがないのは同じです。
不安を抱きながらも、ここで生活していくしかないのです。
だからきっと、被災者の皆さんも、運命は運命として受け止めて、その中で精一杯生きていく覚悟を決めて、新たな一歩を踏み出していらっしゃるのでしょう。

そしてそれは、平穏な時代が信じられないぐらい長く続いた(だから、それが当たり前みたいにこれからも続いていくはずとみんなが信じて疑わなかった)戦後の終わりを意味しているのではないでしょうか。

今はある意味、戦時中のよう。
いつ何時、どんなことが起こるかわからない非常時の中、毎日を精一杯生きていくしかなかった時代と同じような気がします。

日本人全体に、腹をくくること、覚悟を決めることが求められているような気がしてなりません。

2011年5月5日木曜日

Foxgloveさんからのコメントに対して

5月5日(木)


Foxgloveさんが寄せてくださったコメントは『イギリスのロイヤルウエディング』と『アメリカのオサマ・ビンラディン氏殺害』の二つのニュースについてでした。
これらのニュースは、傷ついた日本でもかなり大きく報ぜられました。

皇室のあり方についてはかねてより、喧々囂々(けんけんごうごうってこんな風に書くんだったんだ!)いろいろな意見が述べられてきましたが、今回の大震災での皇族方の対応は、被災者(特に高齢の)にとっては、大変大きな慰めになっているように感じます。
現代でも、天皇・皇后両陛下の心の底からの深い慈愛は、日本人の心に強く響き不思議なほど良い作用を及ぼすようです。
これこそが日本の皇室の存在意義そのものなのでしょう。

イギリスの王室も同様に、イギリス国民の結束の中心にある限り、愛される存在として継続していくことでしょう。今回のロイヤルウエディングの高感度をそのままキープしていけるような、賢明なご夫妻であり続けることをお二人に強く望みます。


『オサマ・ビンラディン氏の殺害』については、それが朗報か訃報かなどと考える前にまず衝撃的でした。
要するに、ビンラディン氏の生前の行いの良し悪し以前にまず、現代のひとつの国家が国として公的に人をあやめ、その死を喜びをもって迎えるということ自体への衝撃です。その点、Foxgloveさんのご意見にまったく同感です。

これでは、「目には目を、歯には歯を」のハムラビ法典の昔から、ぜんぜん進歩していないということではありませんか。
報復は必ず報復を呼び、血塗られた報復合戦が延々と続くことになるでしょう。

これは、公的になされるべきではありませんでした。どう考えても、少なくとも闇の仕事として、ドラマ「必殺仕置人」みたいにされるべきでした。


先日、伯母の葬儀に出席し、親族一同で悲しみと敬意をもって彼女を見送りました。
その際、葬儀とは、故人をこの世から彼岸へ見送る生き残った人側の、心のけじめをつけるためのイニシエーションなのだという思いを強くもちました。

被災され行方不明になっている方たちを、もう亡くなられているのを承知で家族の方たちが必死で探すのも、同じ思いなのでしょうね。

人の死は、やはりどんな人であろうともとても重いもの。
故人の一生にはそれぞれの歴史というものが刻まれています。
一人の人が生きて死んだという事実は厳粛なものです。
敬意を持って彼岸へと見送るべきものだと思うのです。

2011年5月4日水曜日

五月の光、光の五月

五月四日(水)


千客万来!
なんて素敵な五月の日だったことでしょう。
お天気も味方してくれました。

多くの日本人の心の中に、
「自粛を解いてもいいのはゴールデンウイークから」
という、暗黙の了解があったのでしょう。
このようにみんなが、以前のように、いいえ以前以上に、上を向いて前向きに進んでいく契機になるのなら、このゴールデンウイークはまさに、真の意味でのゴールデンウイークとなることでしょう。

2011年5月1日日曜日

安藤さん、おめでとう。

4月30日(土)

フィギュアスケートの世界選手権で、安藤美姫選手が優勝しました。
おめでとうございました。

若いうちから騒がれて、挫折もいっぱい味わって、それでも一生懸命スケートに打ち込んできて、今回その努力が花開きました。
新聞などの記事からの情報しか分かりませんが、まずスケートが好きだという気持ち、それから自分を支えてくれる人たちへの感謝の気持ち、それらに気付いたことが彼女を大人にし、強くしたようです。
前向きの気持ちを持っていたからこそ、よいサポーターたちが彼女の周りに集まり、支えてくれたのでしょう。彼女もその気持ちに応えようとさらに努力を続け、それが相乗効果を生んで今回の結果に結びついたのだと思います。

強いアスリートのエピソードには、私たちが迷っているときに道しるべとなるような真実が、分かりやすい形で現れていることがよくあります。
彼女のまぶしい強さに、私も励まされたような気持ちです。

2011年4月29日金曜日

かえるの歌が、聴こえてくるよ・・・

4月29日(金)


今日も(夕方から雷雨になったものの、それまでは)、日差しの鮮やかな初夏の天気となりました。
自転車でお越しのお客様、バイクでお越しのお客様もいらっしゃった、ゴールデンウイークの幕開けでした。

このごろ静かな夜にはかえるの大合唱が聞かれます。
田んぼに水が張られたのです。
震災のため農業用水の復旧が遅れ、お許しが出るまで待ったので、例年より田植えが少し遅れてしまっています。
でも、こうしていつものようにかえるの大合唱を聞くと、少しずつ元に戻ってきているんだなあと実感できます。もちろん、茨城の中でも比較的被害が少ない地域だからではありますが。

田植えの直後にはか細く弱々しかった苗が、ぐんぐん育ち、夏には力強い緑の田んぼとなり、やがてまっすぐに立っていられないほどの黄金の穂をつける様をずっと見続けてきたのですから、もしそのような風景がここから消え去ってしまったら、どんなにさびしいでしょう。
どうかこれ以上、環境の悪化が続かないようにと、心から思います。

2011年4月27日水曜日

指輪物語(4) 香り草入り兎肉シチュー

4月27日(水)

ブログを書いているうちに、どんどん指輪物語に呼び戻されていってしまっています。

昨日、うちの飼い犬が野うさぎのお尻に噛み付いたことを書きましたが、そのことから思い出されたのが指輪物語の「香り草入り兎肉シチュー」の場面。

第二部「二つの塔」の後半は、主人公のホビットたちが冥王の支配する土地を旅するシチュエーションなので、読んでいて気が滅入るようなところも多いのです。
その中で、この兎肉シチューのくだりはちょっとほっとする一コマです。
ふだんは携帯食しか食べていない彼らが、野うさぎを捕まえて、それをシチューにするのです。
よく読んでみると、うさぎと香り草と塩しか使っていないので、本当にシンプルでつつましいシチューなのですが、ここではたしかに、「宴会といってもいいくらいの大ご馳走」だったのです。

このあと、彼らは私の大好きな登場人物ファラミアと遭遇することになります。
アラゴルンほど完璧ではないけれど、アラゴルンよりずっと人間らしさを感じさせる人物。そして彼も指輪の誘惑に打ち克つ強くて、高潔な心を持っているのです。

物語がいよいよ大団円に向かって動き始めます。

なんかブログもどんどん鴨亭から逸れていっています・・・

2011年4月26日火曜日

ヘビとの遭遇

4月26日(火)


今年もそんな季節になりましたか。
ついに今日、ヘビと遭遇してしまいました。グレイっぽくてストライプのある、シマヘビという種類のヘビだそうです。
義母も、板前さんも、それぞれ別の場所で(たぶん別のヘビを)見たそうです。

これからの季節は、毎年、夫の作った「ヘビつかみ」が大活躍!塩ビパイプと針金で、遠くからヘビの首を引っ掛け、巻きつかせ、どっか遠くへ捨ててくるんです。
これ、すごい発明だと思うんです。成功率が高いし、危険じゃないし、ヘビを殺さないし。

私がここに来てからの、ヘビとのエピソードは結構あります。

農道に横たわっているヘビをロープか何かだろうとお思い、車で轢いてしまい、ロープが跳ね上がってびっくりしたこと。

飼い犬のコロとヘビとの壮絶な戦いを見たこと。このときは夫が加勢をしてコロを助けました。

脱皮したてのまだ濡れている抜け殻を見たこと、など。


コロの中に残っている野性には、時々驚かされます。狩猟本能というのでしょうか。
以前、うちに野うさぎが住んでいたのですが(ピーター・ラビットみたいなそれはそれはかわいい野うさぎです)、ある朝、お尻をかじられて死んでいるのを発見。これはコロの仕業でした。
鴨亭の犬だからジビエの味を好むというわけでもないのでしょうけれど・・・
どうも食べるためではなく、ただ狩をしたいだけでやったみたいです。

信じられないかもしれませんが、鴨亭は野生動物の宝庫なのです。
鳥なら、ウグイス、モズ、シジュウカラ、ジョウビタキ、ムクドリ、ヒヨドリ・・・
ついこの間はキジを見ました。

動物なら、(ありがたくないのですが)イノシシ、イタチ、モグラ、タヌキなど。

それから、昆虫。これはもう、考えただけでも気持ち悪いですけれど、虫嫌いではここの生活はまず無理ですね。(ちなみに私も別に虫好きなわけではありません。)
でも、みんなそれぞれに一生懸命生きている感じは分かるのです。
だから、危険なときは別ですけれど、基本的には彼らを尊重しています。
ただ、よそへご退出願うとか。

それに比べるとコロの野性のストレートさには、却って、厳然たる自然の掟を突きつけられたかのような神聖なものを感じてしまいますね。

まあ、都会育ちの私には、想像もつかなかったような新しい体験の数々です。

2011年4月25日月曜日

指輪物語(3)  漂着物 "Flotsam and Jetsam"

4月25日(月)

大震災から40日以上過ぎ、ようやく今まで手が付けられていなかった場所にもスポットが当てられ始めました。
そのひとつが海の中の捜索。
津波によって海の中に引っ張り込まれていたものが次々と引き上げられています。
引き上げられた自転車が積み重なっているさまなどは、それまでの生活との断絶が改めて思われて、心が痛くなるようです。

指輪物語の中にも同じような場面があります。
魔法使いサルマンの城塞オルサンクが、エント(常緑樹と人間の中間のような生き物)の怒りにより、水攻めにあうところです。ここでもいろいろな漂着物が流れてきます。その中でも、キーとなる漂着物は樽いっぱいのパイプ草(煙草)で、しかもそのパイプ草は、遠く離れたホビットたちの故郷のものでした。なぜそれがオルサンクにあったのか。それが指輪戦争の後日談の伏線となり、最後の山場に続いていくのですが・・・

このパイプ草については物語の導入部、序章でもわざわざ取り上げられているほど、ホビットとは切っても切れないもののようです。


漂着物ひとつひとつに、それぞれの物語があると思うと、何ともいえないせつない気持ちになります。

2011年4月24日日曜日

雹(ひょう)が降りました。

4月24日(日)

昨日と今日の悪天候には驚きました。
昨日は一日中、まるで台風のような強い雨風。今日は途中までは初夏を思わせる好天でしたが、夕方前から空が暗くなり、ものすごい雷雨となりました。そして突然バラバラバラッという強い音。
見れば白い大きな塊が、強風でほとんど真横に飛んでいくではありませんか。

そうとう大気が乱れて不安定になっているのですね。
大変な週末でした。

霰(あられ)と雹(ひょう)は大きさによって区別されているそうです。
基本的に、粒の直径が5mm未満のものがあられ、5mmから50mm(時にはそれ以上の大きさのものもあるそうです)のものをひょうと呼ぶそうです。

2011年4月21日木曜日

樋口一葉を思い出す。

4月21日(木)

今朝起きたら断水していました。
3月18日夕方、一週間ぶりに復活後、初めての断水です。
完全に不意を衝かれてしまいました。

でもそこは、あの一週間を何とか乗り切った経験がものをいって、すぐに頭の中がくるくる回転しました。(あの時と違ってお店を開けなくてはいけないから、水の調達が必要。給水車はもうないから、井戸水の出るところで水をもらってこなくては・・・)などと考えていました。
幸い程なく水が出始め、大事には至りませんでしたが、こんなことがたびたび起こったらたまりません。原因は何だったのでしょうか?


震災の前から、お洗濯にお風呂の残り湯を使っていました。
最初はポンプを買って来て使っていましたが、このポンプ、意外と寿命が短く、これでは節約になっているんだかいないんだかわかりません。
そこで、ポンプをやめて、人力で汲む事にしました。洗濯用のたらいで自分で汲むのです。だいたい、一回に洗面器三杯分をたらいに移し、それを五回洗濯機に入れると洗濯機が回りだします。
ポンプより早くいっぱいになります。

この人力ポンプをやっているとき、いつも思い出すのが樋口一葉の『大つごもり』。
奉公人お峰の水汲みは、もっとずっとつらい仕事だったのでしょうけれど、毎朝必ずこの話を思い出しながら、洗濯しているのです。


樋口一葉は、明治の女性をヒロインに多くの優れた短編を書いていますが、わずか25歳で亡くなっているとは驚きです。時間の切り取り方、ストーリー、哀しみの描写の仕方などが巧みで、私は「日本のチェーホフ」みたいと思っています。
特に好きなのが、この『大つごもり』と『十三夜』です。これらの作品についても、後日また話題にできるといいなと思っています。

2011年4月18日月曜日

指輪物語(2)

4月17日(日)


~土曜日のbeテレビより~

火曜日からNHKで「マドンナ・ヴェルデ」というドラマが始まります。
主演は松坂慶子さんで、彼女は娘のために「代理母」になるという設定とのこと。
明るくふんわりした独特の雰囲気を持つ松坂さんですが、
「迷ったときには、わざと楽でないほうを選ぶ」という方針を貫いているそうです。
「心を鬼にしないと、自分が弱っていく気がする」からだそうです。

この記事を読んですぐ思い出したのが、臨床心理学者の故・河合隼雄さんと詩人の長田弘さんの対談集「子どもの本の森へ」(岩波書店)の中の一節でした。
お二人が「指輪物語」について話し合われている部分で、長田さんは、
「『指輪物語』で、物語の分かれ目となるところはつねに分かれ道ですね。分かれ道のどっち   
へ行くか。楽な方向へ行くか、困難な方向へ行くか。そのとき、物語の主人公であるホビットたちは、いつでもあえて自分たちにとって困難な方向を選ぶ。希望というのは、困難な方向の先にしかないんですね。」
という発言されます。
これを受けて、河合さんも「それは心理療法のプロセスとそっくりです。」
と発言されています。


あえて困難な方向を選ぶことができるってことに、人間のすばらしさを感じます!

2011年4月17日日曜日

静心なく

4月16日(土)


気温も高く、時折日も差す春らしい良い日になりました。
昨日から、風がなくても桜の花びらがはらはら散るようになり、桜の季節の過ぎ行きつつあることが感じられ、紀友則の次の一首が心に浮かんできました。


ひさかたの 光のどけき 春の日に
静心なく 花の散るらむ


桜を詠んだ歌には事欠かない日本の文化です。


もう、枝の先のほうから順に、葉が出始めました。葉の色が混じると、急激に花の色があせてくるのが判ります。

昨日までは薄紅色のじゅうたんを敷き詰めたようだった庭も、今日は少し薄茶が混じり、それが風に舞い、よじれては形を変えていきます。この季節、強風(花散らしの風)が付き物のようです。

でもこれからは、季節の花が次々と咲き続け、濃くなる緑と一緒に鮮やかさの増す季節の到来です。

2011年4月15日金曜日

ふたたび陽は昇る

4月14日(木)


文藝春秋の冒頭のグラビアは、被災前の三陸地方でした。

釜石、気仙沼、陸前高田、石巻・・・
穏やかで美しい海と漁船、栄える港町。
新聞で、テレビで、最近ずっと見てきた凄まじい光景とのコントラストに胸を突かれます。

今回も写真は、言語化できない実に多くのことを語ってくれていました。

でも、この巻頭特集の題名は
「東北にふたたび陽は昇る」
でした。

私たちもそれを信じつつ。

2011年4月14日木曜日

春色パスタ

4月13日(水)

今日は鴨亭の休日。

朝のTVで、ソラマメとスナップエンドウとグリーンピースを使った「豆のパスタ」の作り方を放送していました。そこで、それに少しアレンジを加え、夕ご飯に作ってみました。

刻みニンニクとオリーブオイルで、ベーコンとキャベツとシメジをいためます。ゆでたブロッコリーとスナップエンドウを加え、パスタのゆで汁でゆるめ、ソースを作ります。ソースは塩コショウ、パルメザンチーズ、すりゴマで、味を調えます。
このソースをアルデンテにゆでたパスタに絡めて出来上がり。

なんともさわやかな「春色パスタ」の完成です。
ちょっと薄味に仕上がってしまい、それぞれに味を足しながら食べることになりましたが、おおかたのところは好評でした。(て言うか、塩コショウだけなのでまずいわけはない。)

パスタ始めそば・うどんといった麺類は、言ってみれば白いご飯と同じ、何とも相性が良いので、アレンジの幅はとても広いわけですね。
パスタ好きの夫は、私がたまに作る実験的パスタを、いつも「何でもアリだよ。」と容認しています。
私のやる気をつぶさず、また作ってもらえるうまい方策です。

2011年4月11日月曜日

余震の余震?

4月11日(月)


風に乗って桜の花びらが舞い始めた穏やかな春の日。
それが、夕方から一変しました。

激しい余震があり、それからは余震に次ぐ余震、余震の嵐となりました。


大震災から今日でちょうど一ヶ月
区切りを付けたい私たち人間
そんな人間の思惑にはまったく無頓着な自然の猛威が
まだ容赦しないぞと言うかのように
次々と襲いかかってくる

まだ私たちはその渦中にいる

2011年4月10日日曜日

お花見に賛成?反対?

4月10日(日)


大きく育った桜の木。屋根の上まで
桜が満開。
でも、お花見をすべきか、せざるべきか?

石原都知事(四選おめでとうございます。)が「花見どころじゃない」発言をして、賛否両論でしたけど。
日本人の国民性から言って桜は特別の存在だし、お花見自体には何も悪いところはないと思います。「ドンチャン騒ぎ」がいけないというのでしょうが、節度ある宴(うたげ)は精神衛生上にも大切なことだと私は思います。
馬鹿騒ぎをしなければよいのではありませんか?

みんなが集まっても、震災の話は必ず出るでしょうし、自分の感じ方・考え方などをお互いに披露し合うのは今後のためにもよいのではないでしょうか?

桜がきれいなうちに、お花見に出かけましょう!