2011年5月17日火曜日

掃き掃除

5月17日(火)


アカシアの花が一面に散って、鴨亭の庭は白一色。
周り中をアカシアに囲まれているのです。

つい一月ほど前、こうやって桜の花びらを掃き寄せていたなと思いながら、庭掃除をしていました。
鴨亭は木で囲まれているので、ほとんど一年中掃き掃除は欠かせません。
敷地が広い上、雨の翌日などは落ち葉が張り付いてしまって、結構な力仕事になります。

広々とした空間と、美しい自然。
そして果てしなく続く掃き掃除。草刈りと草取り。
鴨亭ならではの苦労話です。

1 件のコメント:

  1. 庭仕事に寄せて:
    生まれてこのかたベランダ・ガーデナーの私が英国住まいになり、郊外の一戸建てで英国式ガーデニングができると喜んで、人気TV園芸番組を見たり、本を読んだりしながら試行錯誤を重ねてはや20年になりました。徐々に植物の性質もわかり、それぞれ庭花や木の株も大きくなり、満足のいく姿になってきましたが、「年年歳歳花相似たり、歳々年々人同じからず」という昔大好きだった漢詩の意味を再考しました。

    初めてこの漢詩に出会ったとき、単純に、花の姿はかわらねど、人は移り変わる、と考えていました。ひとは毎年同じ季節に桜が咲き、いつも桜は同じだと思うものですが、人が成長し、老化し、去っていくように、多年生植物だって樹木だって、どんどん生長し、老化し、そしてあるものは去っていきます。毎日同じ庭を手入れしながら、毎年季節ごとに写真を撮って、同じ庭の景色であったためしがありません。環境に適応して勢いを得たものはぐんぐん伸び、株が大きくなれば花付きもどんどん増え、その花の色が目立ちます。その隣で勢力をそがれた株はますます小さくなります。はじめに苗を植えたころは見えた地面がもう見えなくなり、すきまなく花の競演を見るようになり、しかも、それぞれの花の勢いが毎年違います。木も大きくなり、次第に木陰も増えます。居ながらにして、景色が毎季節はもちろん毎年変わります。これだからこそ、庭仕事は壁紙ではない変化の面白さがあるのだと思います。
    年々同じなのは、桜の花が春に咲くという事実であり、相似たものは、花の形なんですね。ひとは、そうはいかないものね。

    庭掃除では、車寄せと芝の上の落葉や花がらを掃除します。街路樹や近所のお宅の大木から山のように降ってくる落ち葉が我が家で吹き溜まりになります。公道に落ちたものは市の清掃車が運んでくれますが、玄関や庭に吹き寄せられたものは、自分でするしかありません。濡れ落ち葉になったら、仕事がたいへんです。でも晴れた日の夕暮れにそれを焚き火にするのも楽しみです。庭の片隅につみあげて、堆肥にもしますが、いつのまにかその下に小動物が住み着いていることもあります。

    ところで、どんなに雑草を引っこ抜いても、ほんの少し地中に残った根っこから元気にまたはびこってきます。庭仕事は雑草との終わりなき戦い。結局、庭仕事とは、自分の育てたい植物だけを保護して自然を管理しようとする、きわめて自分勝手な「自然破壊」なんだと思っています。なぜなら、そのまま何も手を入れなければ、すごい勢いで適者生存のむきだしの自然に戻るのですから。自分のエゴと自然との闘いに今日もいどみます。自然のお世話になりながら。

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