2011年5月24日火曜日

15歳の志願兵

5月23日(月)


今朝車のオイル交換にガソリンスタンドへ行きました。

作業が終わるまで中でお待ち下さいと言われ、待合室に座っていたら、老齢のご夫婦が入っていらっしゃいました。そのご夫婦はガソリンスタンドの社長さん(もしかしたら先代の社長さん)とお友達のようで、社長さんも待合室に出て来られて、4人で向かい合って座るような羽目になりました。

話はいつしか太平洋戦争のことになりました。お二人とも軍隊の経験があり、いろいろ大変な経験をされたようでした。

軍隊でどこを殴られたかという話では、お一人は頭をたんこぶだらけになるほどたたかれたそうです。社長さんは頭はたたかれなかったけれど、棒でお尻をたたかれたそうです。いわゆる「バッターってやつだよ。」と。
(私は息子から「読んでみれば。」と渡された『群青に沈め』(熊谷達也・角川文庫)という本を読み始めていたところだったので、この懲罰のことは知っていましたが、そんな恐ろしい懲罰を実際に受けた人が目の前にいるという「リアル」に息を呑む思いでした。)

私は最初は黙って聞いていただけでしたが、頭を殴られた方の奥様が私のほうを向いて、「殴られて死んでしまった人もいたそうですよ。それでも表向きは病死だって報告されてね。・・・当時の軍隊の人はどうしてそんなことしたんでしょうねぇ。」とおっしゃるので、「ほんとですね。味方が味方を痛めつけたってしょうがないですよね。」と話に入っていくことになりました。

社長さんは志願して十五歳で海軍に入ったと言うので、「十五歳で軍隊に入れたんですか?」と私が驚くと、「志願したのは十四歳のときだよ。」だそうです。
まだ、中学生の歳ではないですか。まだ手の届きそうな過去に、そんな幼い子どもたちまでが自ら志願して軍隊に入り、厳しいというより不条理な訓練を受けていた時代があったのですね。

もっといろいろ訊いてみたいような、問わず語りで話してくれることだけを聞くべきなのか(きっと誰にとっても思い出したくないいやな思い出に決まっているから)迷いながら、結局私からは何も訊けずに終わってしまいました。

けれど、私はもっと知りたい、戦争を知らない世代は、戦争を知っているこのような方たちがいなくなってしまう前にもっといろいろなことを聞いておかなくてはいけない、と改めて思いながら帰途に着いたのです。

1 件のコメント:

  1. 私の父は飛び級で陸軍幼年学校(陸軍将校養成のための初等学校)に入ったそうですから、中学1年を終了してすぐ親元から離れて東京に行きました。士官になりましたが、やはり上官にすごく体罰を加えられたと聞いています。
    私思うに、この人間性を否定される環境で、上官への絶対服従の精神が培われたんでしょう。そして敵への無慈悲と攻撃心を煽ったことでしょう。それ以外に味方を痛めつける理由はありません。これは、軍国日本だけの話ではなく、世界中、いまも、どこの軍隊も同じだと思います。イギリスでも同様のことがいまだに続き、兵士(いまは皆兵制度ではなく志願制)が軍隊内で体罰により殺されても、自殺しても、家族はその事実を知らされずにいましたが、最近、遺族が調査を訴え、明るみに出ました。
    個人が人を殺したら、殺人罪に問われるのに、国家の名のもとなら、英雄になる。でも、個人として、殺人であることには変わりなく、それを平常心で遂行できるようになるためには、やはり個人の人間性の否定からはじまるのでしょうか。

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