2011年5月31日火曜日

鴨亭の「野分のまたの日」

5月31日(火)


今朝の鴨亭は、木々の枝や葉が一面に雑然と落ちており、趣があるというよりは、掃き応えがあるといったものでした。

今日もまだ、名残の風が冷たく、一日中周りの緑が揺れていました。

また明日からは下り坂とか。

一年中で一番素敵な月が、今日で終わってしまいます。

皆様の五月はいかがでしたか?

私たちにとって、新しい月が、また一歩、前に踏み出すための時間となりますように。

2011年5月30日月曜日

震災結婚、震災離婚

5月30日(月)

今回の震災で、結婚ブームが起こっているそうです。
今まで体験したこともない非常事態で、人間同士の絆の価値を再確認した人がたくさんいたということだと思います。
希薄な人間関係に危機感を抱いたという人もいるでしょう。
自分もかけがえのない存在を持ちたいし、かけがえのない存在になりたい、と思った人も多いと聞きます。

その一方で、離婚も増えたそうです。
平和で何事もなかった日々には隠れていた真の人間性が、今回の事態で暴露され、愛想をつかされたということらしいです。非常時にこそ、人の本性があらわになるということでしょう。

もちろん、本性があらわになって、深まった絆もあったでしょうし、断ち切れた絆もあったでしょう。
どちらにしても、自分の人生を見直すよい機会と捉えていくしかないでしょう。

おもしろいことに、今回の大災害で自分が変わったと思うのは、明らかに女性のほうが多いようです。女性の感性のほうがより柔軟で敏感だという証拠だと思います。
延々と続いてきた男性中心の社会から、最近やっと女性がしっかりとしたアイデンティティーを築き始めてきていたときだけに、これからますますその傾向が強まっていく予兆ではないかと、私は捉えているのですが。

今回目覚めた女性たちのパワーで、世の中が変わっていくのではないかと期待しています。

2011年5月29日日曜日

母になりたかった(1)

5月29日(日)

台風二号は温帯低気圧に変わったものの、こちらは夕方から雨風が非常に強くなっています。
ガタガタとガラス窓を揺らすのは強風か、それとも地震が来ているのか、と考えながらお風呂に入っていたら、突然、台風と地震がもし同時に来たら???なんて事を考えてしまいました。
そんなことになったら、なんという恐怖でしょう!
でも、有り得ない事ではないのですよね。


さて今日も、お店に関係ないことを少し。

私が昔からなりたいと思っていたものは、実は「お母さん」でした。
「結婚したい」を通り越して、「お母さんになりたい」でした。
未婚の母でもいいとかではなく、結婚が遅くてたとえ子どもが産めない年齢になってしまっても、里子をもらってでもお母さんになりたかったという意味です。
子どもができなくて、代わりに犬を飼うとかいうご夫婦もたくさんいますが、私はあくまでも子どもを育ててみたかったのです。
幸い子宝に恵まれて、里親にはなりませんでしたが、どうしてそんなにお母さんになりたかったかというと、それは多分、私が「教育」という作業にすごく関心があったからだと思います。
ペットを飼うことと人間を育てることとは根本的に違います。
「教育」は人間に特有のもの、犬には「しつけ」はあっても「教育」はありません。

きわめて人間的な作業である「教育」に、やっぱり私は興味があるのです。
その「教育」が、我が子に対してうまくできているかどうかというと、それはちょっと疑問ですけれど・・・

2011年5月27日金曜日

臨床道化師(クリニクラウン)

5月27日(金)


台風二号の影響で、お天気が下り坂です。
関東・甲信越地方はそのまま梅雨入りしてしまいました。

どんよりとした空を眺めていると、気持ちもお天気に引っ張られてしまいます。
なんとなく憂鬱な気分をどうしたら明るくできるのでしょう。

心のじめじめへの特効薬は?と考えたとき、二・三日前にテレビで観た「クリニクラウン」を扱った番組を思い出しました。

「クリニクラウン」は、小児病棟を回り、子どもたちを励ますピエロのことです。
ピエロは定期的に子どもたちの病室を訪れ、道化で子どもたちを笑わせたり、一緒に遊んで喜ばせたりします。
その番組に出てきた子どもたちはみんな小児ガンを患っている子どもでした。
とてもやせていたり、髪の毛がなかったり、管をつけていたり・・・
でも、その子どもたちが、クラウンと遊んでいるうち、ベッドの上でピョンピョン飛び跳ねて大喜びしたり、体中を震わせて笑ったりするようになるのです。その様子は健康な子どもたちと何も違いません。子どもは子ども、みんな同じなんだと、改めて思いました。
子どもたちが心の底からの笑っているのを見、その笑い声を聞いているうち、心がほかほか温かく、明るくなっているのに気付きました。

そう、子どもたちの笑い声こそが心の特効薬なんですね。


クリニクラウンには簡単にはなれないそうです。
道化師としての表現力に加え、子どもの権利擁護者としての視点や、子どもの教育・医療の基礎知識などが必要となるからです。

このような仕事にもっと世の中の関心が高まり、子どもたちの笑い声がもっと聞こえるようになると、私たちの心もきっと明るくなるに違いありません。

2011年5月26日木曜日

手当て

5月26日(木)

少し風邪をひいてしまったようで、頭が重くて二日間ブログをサボりました。
昨夜、体がだるくて、娘に背中と腰を押してもらいました。
そうしたら、今日とても調子がよくなりました。

文字通りの「手当て」をしてもらったわけです。
このハンドパワー、ほんとうに強い力が備わっている人もいますが、普通の人でも暖かい手を患部に置いてもらうだけで気持ちのよいものです。

人の手のぬくもりが持つパワー、ほんとうに大したものです。

2011年5月24日火曜日

15歳の志願兵

5月23日(月)


今朝車のオイル交換にガソリンスタンドへ行きました。

作業が終わるまで中でお待ち下さいと言われ、待合室に座っていたら、老齢のご夫婦が入っていらっしゃいました。そのご夫婦はガソリンスタンドの社長さん(もしかしたら先代の社長さん)とお友達のようで、社長さんも待合室に出て来られて、4人で向かい合って座るような羽目になりました。

話はいつしか太平洋戦争のことになりました。お二人とも軍隊の経験があり、いろいろ大変な経験をされたようでした。

軍隊でどこを殴られたかという話では、お一人は頭をたんこぶだらけになるほどたたかれたそうです。社長さんは頭はたたかれなかったけれど、棒でお尻をたたかれたそうです。いわゆる「バッターってやつだよ。」と。
(私は息子から「読んでみれば。」と渡された『群青に沈め』(熊谷達也・角川文庫)という本を読み始めていたところだったので、この懲罰のことは知っていましたが、そんな恐ろしい懲罰を実際に受けた人が目の前にいるという「リアル」に息を呑む思いでした。)

私は最初は黙って聞いていただけでしたが、頭を殴られた方の奥様が私のほうを向いて、「殴られて死んでしまった人もいたそうですよ。それでも表向きは病死だって報告されてね。・・・当時の軍隊の人はどうしてそんなことしたんでしょうねぇ。」とおっしゃるので、「ほんとですね。味方が味方を痛めつけたってしょうがないですよね。」と話に入っていくことになりました。

社長さんは志願して十五歳で海軍に入ったと言うので、「十五歳で軍隊に入れたんですか?」と私が驚くと、「志願したのは十四歳のときだよ。」だそうです。
まだ、中学生の歳ではないですか。まだ手の届きそうな過去に、そんな幼い子どもたちまでが自ら志願して軍隊に入り、厳しいというより不条理な訓練を受けていた時代があったのですね。

もっといろいろ訊いてみたいような、問わず語りで話してくれることだけを聞くべきなのか(きっと誰にとっても思い出したくないいやな思い出に決まっているから)迷いながら、結局私からは何も訊けずに終わってしまいました。

けれど、私はもっと知りたい、戦争を知らない世代は、戦争を知っているこのような方たちがいなくなってしまう前にもっといろいろなことを聞いておかなくてはいけない、と改めて思いながら帰途に着いたのです。

2011年5月22日日曜日

「キャッ!」

5月22日(日)

午前中は昨日に続いて初夏のさわやかな天気でしたが、予報どおり、午後には荒れ模様になりました。気温も夕方からかなり下がり、半袖では寒いぐらいでした。
せっかく大きな花を咲かせたシャクヤクも、この風雨でかなり頭を垂れてきてしまいました。(まあ、身の程に合った花を付けるべきなのでしょうけれど。)

今回の大地震で、玄関の近くの石が割れ、裂け目ができました。
その穴を気に入ったようで、なんとヘビがおうちにしてしまったのです。
玄関を出ようとするとよく、上半身または下半身を穴から出して、ひなたぼっこしているところに出くわします。
もちろん、「キャッ!」と思います。顔を出しているときは、向こうで気付いてするすると穴に戻っていきますが、この間は下半身だけが表に出ていたので、一向に私の気配に気付いてくれません。
仕方ないので、夫作「ヘビつかみ棒」の先でちょんちょんと突付いてご退散いただきました。

先日「金のなる木」を剪定して、切り落としたところを空いていたプランターに挿しておきました。
ちょうどアロエを株分けしたときの土が残っていたのでそれを使いました。
本当に生命力の強い植物で、水栽培のもプランターのも元気です。

「ヘビ」に「金のなる木」。
どちらもお金が貯まるっていうのですが、御利益はいかに?

2011年5月21日土曜日

花尽くし

5月21日(土)


鴨亭の庭は、花でいっぱい。

これは店のホールに飾った葵とユキノシタ。

 

















これは客室の床の間に飾った花瓶。
葵、菖蒲(白)、さつきなどを寄せたもの。



これは庭に咲いたしゃくやく。もったいないので切花にしない。
蕾を持ってから咲くまでに何日もかかった。
開花したのは昨日。           


l今日は視覚的なブログにしてみました。

2011年5月20日金曜日

筑波山が守ってくれている

5月20日(金)


友人が知らせてくれました。
つくばの放射線の数値は、千葉や埼玉よりも低く、新宿とあまり変わらないそうです。

確かにこのあたりは筑波山があるため、お天気や風向きも周囲と違うということがよくあるのです。
筑波の神様の結界でもあるのでしょうか?

頼もしいお山です。
いつも守られている気がします。


さて、前回・前々回に続いて庭の植物の話題です。

うちの庭に葵が咲き始めました。
葵は葉も花も色が濃く、茎も太くまっすぐで人間の背丈ほどにもなる生命力に溢れた植物です。
それだからこそ、徳川家の家紋にも選ばれたのかもしれません。
葵を、庭のほかの花と同様にお店に飾っていたところ、
「葵は店に飾るものではない」
と言われたことがあります。
その理由は、徳川政権が倒幕され滅んだからだそうです。

気にする人は気にするのでしょうが、私はその後も飾っています。
何しろ三百年の長きにわたって栄えた政権なのですから。
それだけ栄えればじゅうぶんです・・よね。


さて、葵といえば源氏物語では、光源氏の最初の奥さん。
彼女は六条御息所の生霊に取り付かれて亡くなってしまうのですが、そんなはかない女性になぜ、生命力の強い印象の葵という命名をしたのか、私には不思議でした。
そうしたらなんと、葵というのは彼女の名前でもなんでもないそうです。
源氏物語の「葵」帖に彼女中心の話が載っているから、後世の読者が便宜上付けた名前なのだとか。
でも、一旦葵上と呼ばれてしまうと、なんとなく葵にまつわるイメージがそのまま彼女のイメージになってしまいますよね。葵のすっとした立ち姿が、彼女のよそよそしさ、打ち解けなさとちょっと重なるのかもしれません。

その点、言い得て妙なのは、「末摘花」、私的によいイメージなのは、「夕顔」「花散里」「朧月夜」などでしょうか。

2011年5月19日木曜日

タンポポはきれい?

5月19日(木)


久しぶりに早寝早起きしてみました。
この季節、確かにこの生活パターンの方が心身によいかもしれません。
以前夫にも、「考え事は朝するもの。」と言われたことがあります。
朝のほうが気持ちが前向きだし、袋小路に陥っていた思考にも新たな道が見つかることがよくあるからだと思います。
夜書いた手紙は、必ず朝見直してから投函しなさい、ということも一般的によく言われます。

ただ私のような「ねぼすけ」には、継続は難しい気がします。
強い意志の力が必要だと思われます。


Foxgloveさんjから「庭仕事」についてコメントをいただきました。
庭仕事とはきわめて自分勝手な自然破壊であり、雑草との終わりなき戦いは適者生存のむき出しの自然との闘いであるとおっしゃっていました。


このコメントから思い出したことがあります。
以前私が
「うちの庭、今タンポポがいーっぱいなの。」
とうれしそうに話したときのこと。
義母に、それは庭の手入れをぜんぜんしていないということで、とてもはずかしいことなのだと返されました。そして、今のうちに花をちょん切っちゃえ、綿毛になると種があちこち飛んでやっかいになるからと言われました。日々庭仕事に追われ続けて一年を過ごしている義母だからこその見解でしょう。

でも首をちょん切れって、それタンポポの処刑命令?

その後も毎年タンポポは咲き続け、今年もやっぱりあちこちに鮮やかな黄色い花を咲かせています。
そして先日娘が無邪気に一言。
「わーっ!たんぽぽがきれい!」

2011年5月17日火曜日

掃き掃除

5月17日(火)


アカシアの花が一面に散って、鴨亭の庭は白一色。
周り中をアカシアに囲まれているのです。

つい一月ほど前、こうやって桜の花びらを掃き寄せていたなと思いながら、庭掃除をしていました。
鴨亭は木で囲まれているので、ほとんど一年中掃き掃除は欠かせません。
敷地が広い上、雨の翌日などは落ち葉が張り付いてしまって、結構な力仕事になります。

広々とした空間と、美しい自然。
そして果てしなく続く掃き掃除。草刈りと草取り。
鴨亭ならではの苦労話です。

2011年5月16日月曜日

百獣の王コロ

5月16日(月)


パソコンのトラブルで、数日ブログを書くことができませんでした。

この週末は仕事もプライベートも忙しく過ごしました。
季節はどんどん進み、筑波山の緑も日々その厚み、深みを増していきます。
日差しも強くなって、光が鮮やかです。

筑波山の緑と反比例して、飼い犬のコロの毛皮はまた一段と薄くなりました。ところどころ冬の毛が残っていて、表面がでこぼこしています。

毎朝カーテンを開けると、オレンジ色のくちばしが特徴的なムクドリが、コロのえさや水を狙って集まっています。
コロも、イノシシには夢中に吼えるけれど、小鳥たちには寛容で、近くに寝そべったまま彼らの好きにさせています。こんなときのコロは、草原の中に寛ぐ百獣の王ライオンを彷彿とさせます(私がそう言うと夫は鼻で笑いますが)。

それから、今年はムカデを良く見ます(ゾッ!)。
まだ赤ちゃんですが、これが大きくなってあの不気味な赤と黒の大きな害虫になると思うと恐怖です。

鴨亭の花が、毎年季節によって同じ移り変わりを繰り返していくように、虫も同じ移り変わりを繰り返していきます。こちらはちょっと迷惑な・・・
でもそれは、まったく一方的な人間の都合ですね。

2011年5月11日水曜日

雨の休日

5月11日(水)

二週間ぶりの休日は一日中雨になってしまいました。
うちの犬も、雨だから玄関に入れてくれと騒ぎ、一日中玄関で寝そべって過ごしていました。
ところが夕方になるとそれに飽きたのか、トイレに行きたくなったのか、今度は外へ出せと要求してきます。
外へ出してしばらくすると、今度は中に入れろ。入れてやるとしばらくして外へ出せ、どんどん要求はわがままになってきます。堪忍袋の緒が切れて、どんなに外でワンワン吼えていてももう入れてやらないことにしました。今はあきらめたのかおとなしくしています。

日記も家計簿も、二週間ためると結構な量になってしまいます。
分かってはいるのだけど・・・

2011年5月9日月曜日

眠れない夜に

5月8日(日)深夜


寝る前にうかつにもコーヒーを飲んでしまったせいでしょうか、頭が冴えて、まったく寝られなくなってしまいました。
布団の上で、本を読んだり数独を解いたりいろいろやってみましたが、ぜんぜん眠くなりません。
飼い犬がイノシシか何かに向かって激しく吠え始めたのを期に、とうとう起き出してしまいました。

今はウイスキーを1杯だけ飲んで、眠くなるのを待っているところです。
サボってしまったブログでも書いているうち、眠くなるだろうという算段です。

一年のうち何回か、このようなことが起こります。
もう少し若いときは、録画してあった『タイタニック』を全部観てしまったりと、無茶なこともしましたが、今はもう、翌日もつだろうか?とそればかり心配です。

でも、こういうときは、普段考えても見なかったことを考えたり、忙しさにかまけておざなりにしていたことを思い出したりもします。
今も、自分のことばかり考えて周りを見ていなかったと気付いて、反省していたところです。

やすらはで 寝なまじものを 小夜ふけて
傾くまでの 月を見しかな

というところでしょうか。
そういえば、夕べは三日月でした。

それではおやすみなさい。

2011年5月7日土曜日

根を張って生きる

5月7日(土)


一日中、うっとうしいお天気になってしまいました。
筑波山の頂上付近には終日雲が絡み付いており、たとえ山に登っても何も見えなかったと思います。

昨日も書いたのですが、危険だと分かっていても、不便だと分かっていても、それでも今まで自分が住んでいた場所を離れられないということについて、何か私の中でまだ引っ掛かっているのです。そしてまだそれを整理しきれないでいるのです。
ひとつには「ほかに行くところがない」という理由があるでしょう。
知り合いのいない場所では生きられない。
コミュニティーとしてのつながりが希薄になってきたとはよくいわれますが、それがまだ地方では残っていて、特に高齢の方々の間では機能していたのです。ですから、コミュニティーから切り離された形でよその場所で生きていくこと自体が彼らには不可能なのでしょう。
また、自分の生きてきた場所そのものへの愛着ということもあるでしょう。

世界中を飛び回っている人たちがいる一方で、自分の生まれた土地で一生を過ごす人もいるという事実。別に、外へ行くことを禁じられているわけでもないのに、外へ行こうと思わない人たちが、世の中にはたくさんいますね。
今回の被災で、少しだけ、どうしてなのか判りかけてきたような気がします。

私自身が、生まれ育った土地から見知らぬ土地に移り住んで、「よそもの」と見られ続けてきましたから、根っこがあるようなないような・・・
しっかり根を張ったほうがいいのでしょうか、それとももっと自由に動けたほうがいいのでしょうか。

それは多分それぞれの人の考え方によるのですね。
どちらも「あり」。
でも、ジプシーなどと違って、それからユダヤ人とか、世界中にチャイナタウンを作ってきた中国人なんかとも違って、自分の生まれた土地にどっしり根を張る生き方のほうが、より日本人らしいのかもしれません。農耕民族だからとよく言われますけど。

2011年5月6日金曜日

寒い立夏となりました。

5月6日(金)

季節はどんどん進みます。
暦の上では夏になりました。
気が付けば、震災当時ダウンジャケットを着ていた私も、おとといには半袖で過ごしていました。
それだけ時間が刻まれたのです。

でも昨日の新聞には、まだ電気も水道も止まったまま生活を続けていらっしゃるご家庭の記事が載っていました。さまざまな理由で、ご自分の家から離れられない方たちもいらっしゃるのです。

不自由さの違いはあるとしても、それは私たちとて同じ事。できることなら、放射性物質の心配が全くないところで初夏を満喫したい。でも、ここに留まるしかない、行くところがないのは同じです。
不安を抱きながらも、ここで生活していくしかないのです。
だからきっと、被災者の皆さんも、運命は運命として受け止めて、その中で精一杯生きていく覚悟を決めて、新たな一歩を踏み出していらっしゃるのでしょう。

そしてそれは、平穏な時代が信じられないぐらい長く続いた(だから、それが当たり前みたいにこれからも続いていくはずとみんなが信じて疑わなかった)戦後の終わりを意味しているのではないでしょうか。

今はある意味、戦時中のよう。
いつ何時、どんなことが起こるかわからない非常時の中、毎日を精一杯生きていくしかなかった時代と同じような気がします。

日本人全体に、腹をくくること、覚悟を決めることが求められているような気がしてなりません。

2011年5月5日木曜日

Foxgloveさんからのコメントに対して

5月5日(木)


Foxgloveさんが寄せてくださったコメントは『イギリスのロイヤルウエディング』と『アメリカのオサマ・ビンラディン氏殺害』の二つのニュースについてでした。
これらのニュースは、傷ついた日本でもかなり大きく報ぜられました。

皇室のあり方についてはかねてより、喧々囂々(けんけんごうごうってこんな風に書くんだったんだ!)いろいろな意見が述べられてきましたが、今回の大震災での皇族方の対応は、被災者(特に高齢の)にとっては、大変大きな慰めになっているように感じます。
現代でも、天皇・皇后両陛下の心の底からの深い慈愛は、日本人の心に強く響き不思議なほど良い作用を及ぼすようです。
これこそが日本の皇室の存在意義そのものなのでしょう。

イギリスの王室も同様に、イギリス国民の結束の中心にある限り、愛される存在として継続していくことでしょう。今回のロイヤルウエディングの高感度をそのままキープしていけるような、賢明なご夫妻であり続けることをお二人に強く望みます。


『オサマ・ビンラディン氏の殺害』については、それが朗報か訃報かなどと考える前にまず衝撃的でした。
要するに、ビンラディン氏の生前の行いの良し悪し以前にまず、現代のひとつの国家が国として公的に人をあやめ、その死を喜びをもって迎えるということ自体への衝撃です。その点、Foxgloveさんのご意見にまったく同感です。

これでは、「目には目を、歯には歯を」のハムラビ法典の昔から、ぜんぜん進歩していないということではありませんか。
報復は必ず報復を呼び、血塗られた報復合戦が延々と続くことになるでしょう。

これは、公的になされるべきではありませんでした。どう考えても、少なくとも闇の仕事として、ドラマ「必殺仕置人」みたいにされるべきでした。


先日、伯母の葬儀に出席し、親族一同で悲しみと敬意をもって彼女を見送りました。
その際、葬儀とは、故人をこの世から彼岸へ見送る生き残った人側の、心のけじめをつけるためのイニシエーションなのだという思いを強くもちました。

被災され行方不明になっている方たちを、もう亡くなられているのを承知で家族の方たちが必死で探すのも、同じ思いなのでしょうね。

人の死は、やはりどんな人であろうともとても重いもの。
故人の一生にはそれぞれの歴史というものが刻まれています。
一人の人が生きて死んだという事実は厳粛なものです。
敬意を持って彼岸へと見送るべきものだと思うのです。

2011年5月4日水曜日

五月の光、光の五月

五月四日(水)


千客万来!
なんて素敵な五月の日だったことでしょう。
お天気も味方してくれました。

多くの日本人の心の中に、
「自粛を解いてもいいのはゴールデンウイークから」
という、暗黙の了解があったのでしょう。
このようにみんなが、以前のように、いいえ以前以上に、上を向いて前向きに進んでいく契機になるのなら、このゴールデンウイークはまさに、真の意味でのゴールデンウイークとなることでしょう。

2011年5月1日日曜日

安藤さん、おめでとう。

4月30日(土)

フィギュアスケートの世界選手権で、安藤美姫選手が優勝しました。
おめでとうございました。

若いうちから騒がれて、挫折もいっぱい味わって、それでも一生懸命スケートに打ち込んできて、今回その努力が花開きました。
新聞などの記事からの情報しか分かりませんが、まずスケートが好きだという気持ち、それから自分を支えてくれる人たちへの感謝の気持ち、それらに気付いたことが彼女を大人にし、強くしたようです。
前向きの気持ちを持っていたからこそ、よいサポーターたちが彼女の周りに集まり、支えてくれたのでしょう。彼女もその気持ちに応えようとさらに努力を続け、それが相乗効果を生んで今回の結果に結びついたのだと思います。

強いアスリートのエピソードには、私たちが迷っているときに道しるべとなるような真実が、分かりやすい形で現れていることがよくあります。
彼女のまぶしい強さに、私も励まされたような気持ちです。