2011年3月31日木曜日

茨城のほうれん草

3月31日(木)

 庭のモクレンと椿が満開になりました。
日差しも日一日と強くなってきて、空の青さや緑の濃さの中に花びらの白と赤がよく映えて綺麗です。
例年なら、陽気に誘われて、思わず外に出たくなるような日でした。
 でもTVでは相変わらず、放射能汚染の悲観的なニュースが流れるばかり。

 茨城のほうれん草、皆さんは食べますか?
出荷できなくなったほうれん草をいただきました。
洗ってフィルムに入り、店頭に並ぶばかりになっていたのを突き返されたそうです。
生産者の方が、丹精込めて育てられた野菜です。
その無念を思うと涙が出そうになりました。

 まず第一に、食べ物を捨てるということ自体がとても罪深いことではありませんか。
要するに、そうせざるを得ない環境破壊をしたということが罪深いのです。
 正直気分のよいものではありません。
無邪気においしくいただいていた一月前と同じ気持ちでは料理できません。
でも、よく洗い、ゆでて、食卓に乗せました。
ほうれん草を食べるのに、こんなにも強い葛藤と強い決意を必要とする時代になってしまったのです。
何かが大きく狂ってきてしまっていたということですね。

 悲しみの三月も今日で終わりです。
カレンダーを一枚めくるのと一緒に、心の中の悲しみのヴェールも一枚はがし、
日本人全体が新しい段階に進めるとよいですね。

2011年3月30日水曜日

カズが決めた!

3月30日(水) 実家へ行ってきました。
両親は被災は免れていましたが、震災後一度も会っていなかったので、
顔を見たくなって訪ねました。
変わらぬ元気な様子を見て安心し、再び前に進む気持ちを強くして戻ってきました。

 戦争体験者である母は、ある意味今の日本と同じような体験をしており、
さまざまな運命の試練を乗り越えて今に至っていることを私と息子に話してくれました。
以前聞いた話もありましたが、初めての話もありました。

私が生まれたのはもう高度成長時代に入ってからでしたから、
右肩上がりの経済成長の中での両親しか見ていません。
当然戦争中や戦後の混乱期の日本人が必死に生きてきた姿を知らないのです。
戦争に生き残った人たちの多くは、
今は幸せな老後を過ごしているように見えますが、
人生の初期の段階で波乱に見舞われているのです。

 長い人生、一生順調に過ごすなんてことはやはり夢でしかないようです。
人生の前半を恵まれて育った世代はこれから荒波を経験していく運命のようです。
でも、父母たちの世代が粘り強く立派に戦後の復興を遂げたのを見本にして、私たちも立ち上がり、
前に進んでいかなくてはいけませんね。

 昨夜はサッカーのエキシビションマッチがありました。
遠藤選手、岡崎選手、三浦選手がそれぞれ美しいシュートを決めてくれました。
思いのこもったシュートは、私たちの心に美しい軌跡を描いて届きました。
 プロ野球界も、つまらないいざこざをしている暇があったら、
オールスター戦でも開催してくれれば、世の中のためになるのにと思います。

2011年3月27日日曜日

兄弟俳句

3月27日  たつまさ


19日の月はスーパームーンで
最大で14%も大きく30%も明るいお月様。
春の日暮れ大きな月を見るといつも思い出す二つ句歌があります。

菜の花や 月は東に 日は西に       蕪村

東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ   柿本人麻呂

蕪村は一面黄色の菜の花畑の夕方、お日さまが西の沈んでゆきスーパームーンが東の空へ上っていく。
人麻呂はたぶんプレイボーイの朝帰り。東の空にお日様が昇ってくる。
振り返れば西空には沈んでゆく昨夜の月。
どちらも月と太陽が同時にある時間を詠んでいて宇宙を感じさせます。
同じじゃないけどちょっと似ている。いわば兄弟俳句。

最近もうひとつ兄弟俳句を発見。
同じような状況を歌っているのにまったく違う二つの句(?)。

咳をしてもひとり    尾崎放哉

屁をひっても可笑しくもなし独り者 (落語のマクラによく出てくる)

放哉では押しつぶされそうな孤独が
落語ではあっけらかんとした気楽さになってしまう。

こんな時期には何を言っても不謹慎に聞こえてしまいますが
すこし視点を移すことで力を抜くことが出来ればと思います。

2011年3月26日土曜日

外へ出よう

3月26日(土)


朝のうちはとても気持ちの良いお天気でした。
通りを走る車の数もだいぶ多くなった気がして、少しだけ人の気持ちに変化が芽生えてきたのかなと思いました。
買い物の途中に自転車チームの一団と行き会い、さらにモトクロス場への道を上がっていく車も見かけ、いよいよみんなに趣味を再開する余裕が出てきたんだと嬉しい気持ちになりました。

ところが、急に空が暗くなり風向きが変わったと思ったら、雪までちらつき始め、今日は変化の多い気まぐれな天候になってしまいました。なかなか一本調子でよいほうへとは物事は運ばないもの、じっくりと時を待つしかなさそうです。


被災された方のコメントの中に、「皆さん自粛しないでください。」というのがあって、ハッとしました。
直接被害に会わなかった人たちまで、気を使ったり落ち込んだりして閉じこもっていると、世の中に活気が戻らないというのです。なるほど。
皆さん、そろそろ外へ出ましょう。
外へ出て、経済の輪を回しましょう。
復興の支援にも、いろいろなアプローチがありそうです。



鴨亭があるのは田舎の町のそのまた外れです。
災害時には「防災桜川」という町内放送が流されます。
たとえば、「ただいま真壁町何々地区に火災が発生しました。」などです。
今回の大震災後も、たとえば「給水のお知らせ」など、この放送がひんぱんに流されてるのですが、うちからは良く聞こえないので困ります。仕方ないので、娘が町なかのお友達にメールで「今何て言ってた?」と尋ねたりして情報を得ています。隣の筑西市の放送のほうが良く聞こえるので、そちらで給水してもらったりもしました。

町内放送といえば、ここでは何かにつけ花火(のろし)が上がります。
運動会だといってはドンドン!(保育園から幼稚園、小学校、中学校まで)、市会議員選挙で当選が出たからといってはドンドン!時には心当たりが無いのに朝早くからドンドン!ドンドン!
もう寝ていられません。
結婚してここに来たてのころは、てっきり町で発砲事件でもあったものと思い、怯えたものでした。

いろいろなことが東京とは違い、戸惑いながらも面白がっていましたが、もうすっかり慣れました。

私が「東京じゃ、こんなこと考えられない。」とか、「東京とずいぶん違うね。」とか言うと、夫はいつも「東京の方が特殊なんだよ。」と言います。これも私には目新しい発想でした。比較の対象が無かったら、誰でも自分の育ってきた環境が「普通」なんだと思うものですから。

でもだんだんそのような驚きが減ってきてしまいました。私の順応でもあるし、感性の麻痺でもあるわけです。新しい土地に飛び込んで生きるということは、振り返ってみても、た易いことではありませんでした。都合よく鈍感になることが自己防衛でもあったかもしれません。とにかく慣れた分、暮らしやすくなりました。
もうすぐ、「住めば都」の境地に到達するでしょうか?そしてそれは私にとって良いことなのでしょうか?

2011年3月25日金曜日

一億総不審者?

3月25日(金)


昔マスクは風邪をひいた時にするものだった。たとえ冬でもたくさん見かけるものではなかった。
それが、花粉症の広まりと共にだんだん市民権を得始め、春先を中心に目立つようになった。
ちょっと異様だったけど、「私花粉症なんです。」という暗黙の了解。いつしか慣れて気にならなくなった。
ここ数年のインフルエンザの流行がますますマスク族を増殖させた。
私なんか、子どものPTAでは、口元のほうれい線隠しに使っていた。
そしてつい最近は、若者たちが「そのほうが心が落ち着くから」という理由でマスクをすると、テレビや新聞で話題になった。

そしてこの度の福島第一原発の大事故。
今や、マスクをしていない人を探すほうが難しくなってしまった。

これではまるで、一億総不審者の国のようだ。

2011年3月24日木曜日

指輪物語(1)

3月24日(木)


夜になって気づいたのですが、ACが変わりましたね。
今度は飽きる前に次のを準備しておいて欲しいものです。


さてかねがね、最愛の文学作品「指輪物語」のことをいつかブログに書きたいと思っていました。
そしてふと気づいたのは、もしかして、フロドが命がけで捨てに行く「かの指輪」こそが、原発であったり、オール電化の生活であったりするのではないかという事です。

少しマニアックになってしまいますが、ロスロリアン(エルフの支配している美しい場所)で、ガラドリエル(エルフの女王)の魔法の鏡を覗いたフロドが、冥王が自分を必死に探してることを知る場面があります。自分の運命を悟ったフロドは、ガラドリエルに彼女が何を望んでいるのかを尋ねます。
ガラドリエルの答えは、"That what should be shall be."(「あるべきようにあることを。」)
この後ガラドリエルは、フロドが差し出した指輪を我が物にする誘惑に打ち勝ちます。そして、自分たちの時代が終わろうとも、新しい時代の到来に力を貸す意思をフロドに表すのです。

私の最も好きな場面のひとつです。
物語の中でも、指輪の持つ偉大な力の誘惑に勝てる者はほとんどいないのです。
どんな賢者でも(ガンダルフやガラドリエルでも)、それを遠ざけることでかろうじて誘惑に耐えているのです。本当に今の私たちの世の中にそっくりではありませんか!
便利さがどんどん生活を支配していく。一度楽することを覚えたら、もう昔には戻れない。欲望はどんどん肥大していく。そしてそこに忍び寄る黒い影、便利さの代償を私たちは思い知らされてしまいました。

物事が「あるべきようにあることを」、正面から考えるときが来たのではないでしょうか。
便利なのが、「あるべきようにあること」なのでしょうか?
楽なのが、「あるべきようにあること」なのでしょうか?
ものが溢れていて、たくさん所有できることが?
お金で買えるものがたくさんあることが?


私たちは、大切なものを失ったたくさんの人の悲しみから出発して、新しい時代を築いていかなければならないと思うのです。それには、つらく苦しい産みの苦しみが伴うと思います。なかなか物語の中の賢者には近づけませんが、みんなの少しずつの我慢、犠牲が、大きな力になっていくのは間違いないでしょう。

2011年3月23日水曜日

友達からの返信

3月23日(水)

今日も強い余震があって怖かったですね。
思ったとおり放射能汚染はますます広がって、今度は体内からの汚染が心配になってきました。
なんとも言えない薄気味悪さがじわじわと迫ってくるようです。

大地震から二度目の水曜日、少し心に余裕が出て、友人たちの消息を確かめたくてメールを送ってみました。何人かから返信をいただきましたが、みんな住まいが首都圏なので、幸い大きな被害は受けていなかったようです。でも、大なり小なりそれぞれがそれぞれの立場で今回の大災害と関わり、受け止めていることがわかりました。やはりこの出来事は日本人の生き方の転機になるような気がします。

それにしても古い友人は良いものです。離れてしまっていてなかなか会えなくても、楽しい時間を共有した記憶は、絆となってしっかりと残っているののだとあらためて思いました。
世の中が落ち着いて明るさが戻ってきたら、みんなに会いたいです。
この大災害が、久しぶりにみんなに連絡を取るきっかけとなってくれました。

やけっぱちのイーグルス

3月23日  たつまさ

我が家で今「イーグルス」がブーム。(楽天ではなくロックバンド)
もともとは奥さんが若いころからのファン。
私はギターでイーグルスの曲をやってるうちに好きになって、
親の影響で子供たちも関心を持ち始めている。

断水の夜は商売が出来ないので家族の時間がたっぷりあった。
みんなでイーグルスのDVDをくりかえし観た。
娘のピアノ伴奏で「デスペラード」を歌った。
息子が弾くベースの「呪われた夜」のフレーズで盛り上がった。
私もギターコードをたどたどしく鳴らして
音程のはずれた「テキーラサンライズ」。
プルトニウムの呪われた夜。
不安の中のやけっぱちのロックコンサートでした。

試練と慰め

3月22日(火)

余震の多い一日でした。
おととい、昨日は少し収まってきたかな?と感じていたのに、再び不安が頭をもたげて来ます。
何とか弱い地震だけで、エネルギーを出し切ってほしいと願うのは、素人考えなのでしょうか。

さて昨日、明日こそは明るい話題を載せたいと書きました。
暗い空と相変わらずの災害関係のニュース。日本全体の自粛ムード。
明るい話題を探すのはとても難しい現状です。
でも、春の兆しは確実に表れています。レンギョウが花を咲かせているのと、モクレンが今にも花をほころばせそうなのを今日見つけました。黄色いスイセンはもうずいぶん前から開花しています。ボケもスモモも満開。紅白の椿と一緒に、鴨亭の庭に色を添えています。
自然は私たちに試練・脅威を与えると共に、慰めも与えてくれています。自然の意図(それは神の意図と言い換えても構わないのですが)は私たち人間には伺い知れませんが、自然の前には本当に小さい存在である私たちは、ひたすら謙虚に生を営んでいくしかありません。
今日もプラス思考で被災地の再興を支えていきましょう。

2011年3月21日月曜日

昨夜の月

3月21日(月)

春分の日の今日は、一日中雨が降り続くあいにくのお天気になりました。
例年なら完全に冬と決別できる季節ですが、明日からしばらくは寒いそうです。

空と同じように、日本人の心にも暗い雨雲が垂れ込めているようです。
あの日から、世の中のムードががらっと変わってしまいました。
友人も、一週間仕事が休みになり、少しは骨休めになるかと思っていたのに、却って心が鬱々としてしまったとメールに書いていました。
災害を逃れた人でさえそうなのです。
被災者の方々のストレスはいかばかりかと、心が痛みます。

今回は、地震、津波、原発事故の三つの不幸が重なり、なかなか事態が収束に向かいません。
混乱の中、時間だけが過ぎていくやるせなさ。
今、日本人には何が必要なのでしょう。

今夜は真っ暗ですが、昨日の夜空にはひときわ大きな満月が輝いていましたっけ。
冴え渡るその白い光に地球の傷跡もこうこうと照らされているのかと、足を止めて仰ぎ見たのでした。

明日はもう少し明るい話題を取り上げることができる日でありますように。

2011年3月20日日曜日

やっとブログ再開できました。

3月20日(日)

14日に書いたのを最後に、インターネットがつながらなくなって今日に至ってしまいました。
NTTの下請けさんもとても多忙だったようで、連絡してからだいぶたって、やっと今日見に来てくださいました。お蔭様でやっとブログ再開ができました。

お店のほうは昨日19日から営業再開いたしました。ただ、ホームページ上の「臨時休業中」の文字を今日まで更新できず、お知らせが遅れてしまい残念です。

この間、この地域は断水が続き、14日からは一日のうち数時間だけは水が出るようになりましたが、時間も一定せずとても心もとない状態でした。水道の完全復活は18日の夜からで、その後は普段どおりに使えるようになりました。蛇口をひねると勢いよく出てくる水に、申し訳ないような気持ちになりながら、できるだけ節水に努めています。節電にもお店ぐるみで努めています。一人一人は微力でも、日本中が気持ちを合わせれば、ずいぶん大きな効果が出ることと思います。
肝心なのは今の気持ちをいつまでも忘れないことですね。
今のところは、一杯の温かい汁物に涙し、、ビニールをかぶせた段ボール箱での足湯に心から感謝する方々の映像に自分の幸せな境遇を再確認することができます。でも、だんだん日常生活が戻ってくるにつれて、ニュースも少なくなり、記憶も薄れていき、私たちは初心を忘れます。
ですから習慣になるまで、自分や子供たちに節約を課していかなければと思っています。

福島原発の非常事態について。
東電の会見に苛立ちを覚えた方も多いと思います。マイクを押しつけ合って、もごもごもごもご・・・
それに比べて、東京消防庁の放水部隊の方々の会見の立派だったこと。
現場の方々の、昼夜を問わない命がけの作業が、ぎりぎりのところで国民を守ってくれています。

もちろん原発に限らずさまざまな分野のエキスパートが、一人でも多くの方の命を救おうと今もがんばっていらっしゃいます。私たちはそのような方々への敬意を忘れてはいけないと思います。
私たちは自分に何ができるかを常に探し続けなければいけないし、若い方々は将来役に立つ人になれるよう自分を磨いてもらいたいと思います。

放射能汚染は水や食べ物にまで及んできてしまいました。
まだまだ前途は険しいけれど、未来へ進まねばなりません。
それぞれの持ち場で力を尽くしていきましょう。

2011年3月14日月曜日

七十二時間後

3月14日(月)


刻一刻と明らかになっていく被害状況の深刻さに言葉を失っています。

不明者の捜索、被災者の救援などの報道のひとつとして届いた、海岸に打ち寄せられた千体以上のご遺体のニュースの衝撃。

それとほとんど同時進行で、次々と危機的状況を呈する福島第一原発のニュースの恐怖。

さらに計画停電という試みによるさまざまな混乱。


自分の生活を守る作業を黙々としつつ、まだ次の段階が見えてきません。
事態を見守り、備え、先のことを考えなければなりません。
生活の先行きのことだけではなく、今の私たちの生き方そのものの見直しも同時に行っていかなければならないのだと思います。電力に頼りすぎていた私たち、原発という危険なものを野放しにしていた私たち、豊かさを当たり前のこととして享受してきた私たちといったものを。

困難の中での、現場の皆様のご活躍は大きな希望です。
明日もみな、それぞれの立場で、精一杯生きましょう。
このようなことしか書けない、今の私です、情けない・・・

2011年3月13日日曜日

地球のくしゃみにしては・・・

3月13日(日)

夕べ遅く、やっと電気が使えるようになりました。
情報が乏しい不安な33時間の後、初めてニュースを見ることができ、起こっていたことの桁外れな重大さに愕然としました。

まず第一に、一人でも多くの方の命が助かりますように。
そして、原発事故ですが、これまた最小の犠牲で済みますように。

最初の大きな揺れから二日がたとうとしていますが、まだ余震が収まる気配はありません。
むしろ、第二、第三の災害がこれから続くかもしれない状況です。
できるだけ冷静に、人々の善意を集めて支えあいながら、事に当たっていくよう、心がけましょう。
(と、自分に言い聞かせています。)

実は、鴨亭ではまだ水道が止まったままなのです。
お店の再開はまだ未定です。今回の災害が、今後どのように続き、世の中の機能回復がどのようなペースでなされていくのかまったく先が読めませんので。
一日も早い日常生活の回復と、ダメージからの立ち直りを祈りつつ、今自分ができることに専念していきたいと思います。

人間のおごりが少し度を過ぎたとき地球はくしゃみをして警告するんだ、と考えてきましたが、今回はくしゃみにしてはちょっときつすぎの一撃でした。

2011年3月10日木曜日

すももの香り

3月10日(木) みき


すももも、もくれんも今にもほころびそうな蕾を付けた枝を空に差し伸べています。
この枝の形が私は好きです。スーッと伸びていくような放物線。

花瓶に挿したすももの蕾から、かすかに甘い匂いがしました。

2011年3月9日水曜日

つくバスにて

3月9日(水)


つくバス(筑波山口から発車するバス)に乗りました。
筑波山にある宿に宿泊されたと思われる年配の女性四人のグループと一緒になりました。
耳に入ってくる、彼女たちの元気で賑やかなおしゃべりをずっと聞きながら、お金と健康に恵まれた老後を満喫している彼女たちをうらやましく思い、この年代の女性のパワーにただただ感心していました。やはり、年輪を重ねないと、とても彼女たちのようにはなれません。まだ私は遠く及ばないと思って聞いていました。
分析した結果、次のことがわかりました。

1.彼女たちは、人に話を聞かれることをなんとも思っていない。
2.彼女たちは、目に映ったものを見てそのとき頭に浮かんだことをそのまま口に出す。
3.彼女たちは、同年輩の女性同士すぐに打ち解ける。
4.彼女たちは、偶然居合わせた人に話しかけることにも躊躇しない。

まあ、これらの特質はこの年代の女性の「短所」として語られることが多いのが事実です。私も、静かに読書でもしながら行こうと思っていたので、最初は戸惑いました。
でも、なんでも口に出して言ってくれる分、今まで素通りしてきていた景色の一つ一つに私も釣られて目を留めることになり、いろいろ新しい発見がありました。それから、初めてこの土地をお訪れた人はこの土地を見てどう感じるのかもわかりました。
また、メイドさんのようなかわいい服装の若い女性が乗ってきたときには、口々に「あらぁ、かわいいわねー!」と大きな声で言ったので、彼女たちの趣味もわかりました。バスを降りるとき、改めてその若い女性に「かわいいわねぇ、あなた!」と声をかけるのでびっくりしていたら、彼女も慣れたものなのでしょうか、にっこりと手を振っていたのにはまたまたびっくりしましたけど。

私は乗り物では、いつも本を読むか寝るかしてしまうので、こんな風に人間を観ているのも楽しいなと思いました。

2011年3月8日火曜日

山と私

3月8日(火)







今日は朝焼けを見ました。うっすらとかかった雲から筑波山の稜線が透けて見えて、とてもきれいでした。一日姿を見なかっただけなのに、とても嬉しい再会でした。



山派と海派に分けると、昔から私は山のほうが好きでした(海が嫌いというわけではありません)。
中学の夏休みには林間学校と臨海学校があり、選択性でしたが、私は山のほうを選びました。
そして,高三の夏休みを私は、長野県伊那市で親戚所有の空き家をお借りして過ごしたのです。


長野の山々は2.3千メートル級の高さで、筑波山とは規模が違いました。仰ぎ見れば、迫りくるような濃緑の山々に圧倒され、そのときに、「山が見える場所で暮らしたい」という思いが芽生えたのです。


今も私は初夏から夏にかけての、濃緑の筑波山が一番好きです。
山の厚みが増すというか、立体感が出るというか、まるでペルシャ絨毯のように量感があるのです。
でもとりあえず今は、粉砂糖がパラパラとかかったような,くすんだ早春の景色を楽しむことにしましょう。

うまくいく日といかない日

3月7日(月)

毎日同じことをしていても、それがうまくいく日といかない日があります。
たとえば、車で買い物に出かけたとき、一度も信号に引っかからない日もあれば、いちいち引っかかってしまう日もあります。
今日はうまくいかないほうの日。ちょっとしたトラブルで一度引き返すことになり、スーパーの駐車場では水溜りに足を突っ込んでしまいました。
でもこの程度のことで済み、無事に一日を終えたことに、今日も感謝です。

2011年3月6日日曜日

啓蟄

3月6日(日)

今日は二十四節気の啓蟄でした。

だんだんと春が近づいてくるのはうれしいですが、確かにこのころから虫の姿をちらほら見かけるようになります。

無害な虫もたくさんいますが、もちろん害虫とも共存です。
こちらに住むようになってからは、虫の出現にいちいち騒いでいられなくなりました。
たとえば夜中、しゃかしゃかしゃかというかすかな物音に目を覚ましたことがありました。
なぜか本能的にピンときて、電気を付けてみると、思ったとおり、部屋の隅を歩くムカデの姿が・・・ということもありました。冷や汗ものです。

でも、真冬に庭木の枝に蝉の抜け殻がしがみついているのを見つけたり、ちょうど今の季節、芽吹きだした枝にカマキリの卵や蓑虫を見つけるとうれしくなります。カマキリの赤ちゃんが生まれ、続々と卵から這い出ているところを観たのもこちらに来てからです。
モグラの通った跡、ヘビの抜け殻、どれも最初はとてもびっくりしましたが、もう慣れました。
今年も毛虫、芋虫、あらゆる虫が這い出てくるでしょう。
決して好きとはいえませんが、無駄な殺生はしないようにするつもりです。

近頃新聞を賑わすニュースは

3月5日(土)


今日筑波に梅林は大賑わい、道路は大渋滞だったそうです。

3月ですもの、天気の良い週末にどこかに繰り出したくなるのは自然な気持ちでしょう。

明日はもっとぽかぽか陽気になるそうです。

どこへ行っても大混雑は覚悟しなければならなくなるでしょうね。道中お気をつけて!

さて、近頃新聞を賑わしているニュース(除く:政治のごたごた)について少し。


1.ネット掲示板を使った大学入試カンニング事件

2.NZ地震(これは生存者の捜索打ち切りでだいぶ扱いが小さくなった)

3.リビア情勢

4.昨日からは熊本の3歳女児殺害事件

5.少し前には広島の高速バス横転事故


このうち1,4,5は大学生や大学受験生が起こした事件です。

世間を騒がせた(というより世間が騒いだ)割には犯人がすぐ捕まりました。

どの事件も、ある意味あまりに稚拙だったからです。

良い悪いは別にして、犯罪を起こすなら周到に計画・準備・研究しなければばれてしまいます。

どの事件も、自分の所業を隠すことに無防備過ぎて、驚いてしまいます。

二十歳前後の人間のすることとしては、かなり幼稚な気がします。

だって犯人たちはまだ若く、これから人生がずっと続いていくわけでしょう。

それなのに、自分で自分の人生を台無しにして、これからどうするつもりなのでしょう。

これらの事件において、自分のとった行動の当然の帰結を見通すのはそれほど難しいこととも思えません。10年後の社会情勢を想像するのとはわけが違いますから。

心がけて考える訓練を積んでいかないと、自分にとっても危険ですし、世の中も気づかぬうちに危険な状況に陥ってしまうと思います。

浮かれたバブルの時代を通ってきた私ですが、時代の変化から、生きることの難しさを思い知らされています。

逆に2.のNZ地震では、勤勉な若い人たちのたくさんの夢が消え去りました。

とても残念なことです。


4.のリビア情勢は、一進一退。国際社会も腫れ物に触るようで、対応に苦慮している模様。

最初は英雄でも、権力を握ったとたん人は変わるのが常だし、独裁が長期にわたれば独裁者も時代にそぐわなくなってきてしまいます。優れた人だったかもしれませんが、すべてにおいて優れていることはありえません。また、優れた人は一人だけではありませんから、やはり、長い期間一人の指導者が上に立っているより、一定期間で交代したり、複数の指導者の合議制で政治を行う方向に進んでいくのが自然だと私は思います。

2011年3月4日金曜日

生姜紅茶

3月4日(金)

毎朝いくつかの飲み物を作ります。
麦茶は子供たちのため。主人と私にはコーヒー(主人が淹れてくれることもある)。
そしてここ半年ほど、生姜紅茶を飲むようにしています。
生姜を皮ごとすりおろし、リーフティー、黒糖(うっすら甘い程度に)と共にティーポットへ。
熱いお湯を注ぎ数分で、ピリッと生姜の利いた(それなりに)おいしい生姜紅茶ができます。
生姜の味に負けないほど紅茶を濃く入れたほうが私は好きです。

私の場合、宣伝文句にあるほど劇的に冷え性が改善されたとまでは言えませんが、体調が良くなった気はします。温まると以前より汗を掻くようになったのは、新陳代謝が良くなったのかもしれません。
今まで続いているのは、何よりも、生姜と紅茶と黒糖のバランスを自分好みで調整すると思ったよりおいしい飲み物だということがわかったからです。

ティーポット満タンに作った生姜紅茶を一日かけて飲みます。
安心して日常的に飲める飲み物ですが、あまり夜遅くになってから飲むと、やはり紅茶のカフェインで眠れなくなったことがありました。ノンカフェインのほうじ茶とか麦茶とか、ルイボスティーなどで作ってみるのもいいかもしれませんね。

お雛様とお別れ

3月3日(木) みき


真壁町では午前中に流し雛がありました。

お雛様とのお別れが来たことを強く意識させられる行事です。


鴨亭でも明日朝、ひな壇を片付けます。

ご存知のように、お雛様は3月3日を過ぎたらすぐにしまわなければいけないという慣習があるからです。余韻を感じる暇もなく、あっけないお別れです。


真壁町では、ひな祭り以降もお雛様を飾ったままにしてあるところがけっこうあります。ひな祭りのイベントが終わっても、古い町並みを見学しに来てくださる方が多いからだと思います。でもきっとそれだけでなく、しまってしまうのはさびしいからという理由もあるのではないかと私は推測しています。

さびしいからもう少し飾っておくというのに、私は賛成!

娘がお嫁に行くのが遅くなるという言い伝えにも、「娘は早くお嫁に行かなくていい!」と思っています。だって早くお嫁に行くことよりも、「幸せな結婚」をすることのほうが大切なことですから。

ただし、「幸せな結婚」の中身は、結婚前に思い描いていたものとは違って当たり前。山あり谷ありの人生を、パートナーと力をあわせて家族を作り上げていくことに喜びを感じられるような結婚だったら、幸せといえるのではないでしょうか。長い時間と手間と忍耐、それに思いやりとか周りからの援助とかとにかくいろいろなものが必要な幸せではあります。


話が逸れてしまいましたが、女の子の幸せを祈るお節句が終わり、これからは、人々は桜の開花を待ちながら日々を過ごしていくのでしょう。

2011年3月3日木曜日

今日はなぜか

3月2日(水)  みき


風は冷たかったけれど、ようやくお天気が回復しました。

明日は茨城県の県立高校の入学試験日です(公立なので学力検査と呼ぶそうです)。

センター試験の日は雪で大変でしたが、明日は穏やかに晴れそうですね。

受験生の皆さんの努力が報われますように。


ひょんなことから、義母が女学生だったころの話をちょこっと聞きました。

和裁や日本刺繍、書道(万葉仮名)などを習っていたそうです。

そのころは漠然と、結婚したら大きな部屋に刺繍台を置いて、優雅に刺繍などしながら暮らす日々を想像していたそうです。

若くして義父と出会い、若くして主人を産んで母となって、「ぜんぜん違っちゃった。」と笑っていました。

主人と結婚することになって初めて義母と出会い、そのまま義母は義母であり続けていて、それ以外の関係で義母を眺めるなんてこと考えたこともありませんでした。でも今日はなぜか、女学生だった義母の姿が初々しいままに目に浮かんできたのです。

私の子供たちぐらいのころの義母の話を聞いたことによって、今まで固定されていた視点が移動して、新しい角度から義母を見たということでしょうか?うまく言えないけれど、それぞれの歴史を持った人間同士、それも結婚という共通体験をしてきた女性同士というベースで。

とても些細な雑談だったのに、目からうろこが落ちた私でした。(私が勝手にいろいろ思っただけで、義母は何にも気づいてないと思います。)

2011年3月2日水曜日

黒いものは

3月1日(火)  みき



三月になりました。

自宅ののスモモの木に蕾がびっしり付いているのに気づいて、さっそく花瓶に挿してみました。

ミモザも満開、ボケも蕾がほころび始めました。

昨日今日の寒さに多少足踏みしてはいるのでしょうが、ようやく無彩色の庭に色が付き始めました。


昨日に続いて甘いお話。

お汁粉に、白砂糖ではなくて黒糖を入れると、甘みがどんと居座った感じになりおいしいです。

私は生姜紅茶にも微量の黒糖を入れて飲んでいますし、梅ジュースも前は黒糖で作っていました。

ですから、初めのころ、お客様にお出ししていた梅ジュースは褐色でした。

最近は見た目を考慮して白砂糖で作っていますが。



黒いものは体によいと言われますね。

白砂糖よりも黒糖、白米よりも玄米、白ゴマよりも黒ゴマ・・・

でも摂取しにくいし、使いにくい。

お汁粉はもともと色が黒いですから黒糖には好都合ですが、やはり黒いとまずいものもあります。

そのようなときには間を取って、茶色いお砂糖を使うのも手だと思います。

お米も私は、玄米はお腹に少しハードなので、胚芽米を使ったりしています。

お弁当にも、さめた玄米はあまりにも食べにくいでしょうから、胚芽米を使います。

食感は、玄米よりもずっと白米に近いと思います。

昔下の子が保育園で、お友達に「「ふりかけをかけてきている」と言われてしまったそうです。

胚芽の部分がふりかけに見えたのでしょう。

私自身は玄米餅や黒パンが好きなのですが、家族にはあまり評判が良くありません。

確かに、ふわふわした軽やかな噛み心地も良いものです。

趣味の問題でしょう。

たつまさ:なるとのわかめさん!ミモザ咲きましたよ。

2011年3月1日火曜日

小豆を炊きました

2月28日(月)  みき



一度暖かくなった後の雪混じりの雨はこたえますね。

ワイパーで払いのける雨が、フロントガラスの隅で、溶けかけたシャーベットのようになって落ちていきます。

その様子を、これも春本番への通過点なんだなあと思いながら見ていました。


昨日の夜、小豆を炊きました。

私も主人も甘党で、あんこが大好きです。

でも、市販のあんは、甘すぎるし、国産だと結構高くつくし。

というわけで、このごろはお汁粉が恋しくなったら自分で炊くことにしています。

小豆は前もって水につけておく必要もないので、思い立ったらすぐに煮始められるので楽です。

だいたい小豆と同量の砂糖を入れるらしいですが、私は7割ほどにしています。

市販のものに比べると、甘さはかなり控えめで、さっぱり系のお汁粉になります。

塩の量もおいしさの決め手です。隠し味よりちょっとでしゃばっているぐらいの量が良いようです。

こうして大量に炊いても、いつの間にか少しずつ減っていって(自分も犯人ですが)、あっという間になくなってしまいます。

本当に、甘党夫婦です。


前回の愛読版「土曜be」で和菓子ランキングが出ていましたね。

ちなみに主人のNo.1は大福、私のは桜餅もしくは道明寺桜餅です。


色と香りに魅かれます。

練り切りが好きな息子は、甘さだけでなく、和菓子の芸術性にも魅力を感じているようです。



私が大量につまみ食いしました。止まらなくなってしまった。(たつまさ)