2011年10月21日金曜日

黄色系になった庭、ぎんなん

10月21日(金)

道路からうちに入ってくると、なだらかなスロープを上がっていくことになります。
そして突き当たりをかなり鋭角に曲がるとやっと店が見えます。
最初のスロープを上がりきったあたりに今菊が満開です。

それから見本の鴨小屋の近くにも、お部屋の窓から見えるところにも。


数年前にいただいた鉢植えを、義母が小分けにして庭中に植え替えたのです。それらがそろって育って増えた結果です。






なんとなく庭全体も黄色っぽく染まって見えます。
今日は曇りだったからよけいそうなのかもしれません。

そうして、庭の中心にある石の上には、義母が拾って、洗った銀杏(ぎんなん)が干してあります。



これは毎年のこの時期の、義母の仕事です。
封筒に入れて、レンジで加熱して、パンパンと殻をはじかせて食べるのもおいしいですが、とてもたくさんあるので、袋に入れてホールに置き、お客様にもお分けしています。
とても手間がかかるので、「手間代だけ」頂戴していますが、結構人気があります。

そう言えばこの時期のイチョウの葉も黄色、この辺の秋は、燃えるような赤ではなく、少し物寂しい黄色系の秋です。

2011年10月19日水曜日

父の畑納め

10月19日(水)


この間の三連休に、実家の父が畑を納めるためにやってきました。
頑強な体を誇っていた父でしたが、寄る年波には勝てず、ここでの畑仕事が年々きつくなってきていたようなのです。
けじめとして、長年耕してきた畑を更地に戻すためにきたのですが、五ヶ月ぶりということもあって、すでに荒地となっていたところを夫がざっと草刈機で刈ってあったので、実際それほどやることはなかったみたいです。

私がここに来てからまもなく父がここに畑を作ったのは、もちろん父の数少ない趣味のひとつでもあったのですが、それ以上にきっと、私のことが心配だったからだと思われます。
畑を口実に私の様子を見に来ていたというのが本音で、そのうちそれに孫見たさが加わって今まで続いてきたのでしょう。
でもその孫たちも成長して自分たちの世界を持ち、父が来てもいないことも多くなっていました。いつの間にか、心配されていた私のほうが父の道中や体を心配するようになってきて、ちょうどすべてのタイミングが合い、畑はその役割を終えたということです。

父も、畑も、お疲れ様でした。ひとつの時代が終わりましたね。
でも、ひとつの時代の終わりは、次の時代の始まりですね。
父にもまだ、もっと体に優しく脳みそには厳しい趣味を見つけて、健康でいてもらいたいと思います。一緒にがんばりましょう。

2011年10月14日金曜日

どこにでもクモの巣

10月14日(金)

今朝はあたり一面にもやがかかっており、明け方まで細かい雨が降っていたような気配でした。
それが、気温が上がるとともに少しずつ薄くなって、朝食の支度が整うころには庭の木々も姿を現し始めました。
そうしたらびっくり、あっちにもこっちにも、クモの巣がきらきらと光っているではありませんか!
普段は目立たないのに、朝露をすずなりにぶら下げているからいつもと違ってまるみえです。
水晶のネックレスのようできれいではありますが、クモにとっては防犯上(?)ちょっと危険ですね。








こんなのがもっともっとあちこちにあったのですが、とりあえずここまでにします。

うちの庭のクモたちに関しては、思いのままの家作りも多めに見てあげられるのですが、お店の庭ではそうもいきません。
ですから、今日は竹ほうきを振り回して、端からクモの巣払いです。
それでも、ジャンプしても届かないところにもいっぱい!
(もっとも、昔のつもりで跳んでても、足はほとんど地面にくっついたまんまという情けないジャンプではありましたが。)

柄のいちばん先を持って上向きに竹ほうきを振り回すこの作業は、結構よい運動になりました。
人が見たら、「意味不明」ではあったでしょうけれど・・・

いつもより意識が上に行ったせいで、いろいろな実にもあらためて目を留め、写真に撮ってあげることになりました。


ピラカンサスです。


ネットでは、「鳥が食べに集まってきます」という説明が付いているものもありましたが、千両や万両などの実が食べられてしまっていてもいつも一番最後まで残っており、察するにあまり美味ではないようです。いよいよ食べるものが何も無くなってしまうと、仕方なく食べているような印象を受けています。


こちらはどうやら烏瓜のようです。


木々に蔓を絡ませて、あちこちでぶらぶらしています。
木の葉が落ちて、スカスカになった枝に絡まっているから、まるでその木の実のように見えます。どことなくユーモラスな目立ちたがり屋さんです。

2011年10月11日火曜日

どこにでもカマキリ

10月11日(火)


お天気にも恵まれて、すてきな季節の三連休が終わりました。

毎晩月もこうこうと輝き、今晩はほぼ満月、九日の十三夜の月は、薄雲にくるまれて少し潤んでいるように見えました。
この日(九日)は、いつも行く産直のお店で売り出しをやっていて、ススキをただで大量に分けてもらうことができました。ふんだんにススキをあしらった花びんは、東京からのお客様にとても羨ましがられました(東京ではなかなか手に入らないでしょうから)。

菊が咲き始め、いろいろな実も赤く色づき、花の悩みともしばらく別れていられそうです。


さて、このごろ、いろいろなところに茶色に枯れたカマキリが貼り付いていて驚かされます。
窓ガラスの外側とか、家の外壁とか、縁側とか、至るところです。
昨晩はお風呂場にいたので、一緒に入浴してしまいました(?)。
さっきは犬のえさ入れの中です(コロに食べられちゃうぞ~)。
気温が下がってきたせいか、動きが鈍く、突いてもあまり反応しません。しつこくかまうと、ようやく面倒くさそうにのそのそ移動を始めます。もっと寒くなると、まったく動かなくなり、そのまま死んでいることもよくあります。今貼り付いているカマキリは、そうやって静かに余生を過ごしているというわけなんですね。
でもその前に、木の枝にちゃんと卵を産み付けているんですね。春になると、ホチキスの針みたいな赤ちゃんが、その卵からぞろぞろ出てくるんです。
こちらに来てからそんな光景を何度か見ることができました。

2011年10月7日金曜日

モクレンの実

10月7日(金)


モクレンに実が付くということを、私は去年初めて知りました。
赤い実なのですが、二つ三つがひとかたまりの不完全な茶色の皮みたいなのをまとっていて、なかなかユニークです。
写真では、よく判りませんかね~




こちらは、モクレンの木の上半身像。
今はまだ、こんなに緑がたくさん茂っていますが、冬にはまったく枝だけになり、寒々しい風貌に変わってしまいます。
その裸の枝にやがて固いつぼみが付き、春を待ち望む気持ちが一段と強くなります。
そして待ち望んでいた白い花が開き、やがて満開になり、その下で犬のコロがのんびりと日向ぼっこする、という一年のサイクルです。



















2011年10月6日木曜日

らんぶる

10月5日(木)

昨日のお休みは、高校時代の友人と恩師に会ってきました。
友人とは一年ぶり、恩師とは十年ぶりぐらいの再会でしょうか。

先生の行きつけの店という、新宿の「らんぶる」という喫茶店でお話をしました。
このお店、昭和の時代からの名曲喫茶の名店で、私も名前だけは知っていましたが、入ったのは初めてでした(夫は昔、新宿でサラリーマンをしていたときに行ったことがあると言っていました)。

一階はどうってことない「普通の」喫茶店という感じでした。
「普通の」と言っても、喫茶店全盛の時代を知っている私にとっての「普通」であって、今の若い人なら十分レトロ感を味わうことができるかもしれません。
先生が、
「地下に行こう。地下は広いんだよ。」
とおっしゃるので入ってすぐ左にあった階段を降りていきました。そこは、さらに懐かしい雰囲気の漂う空間でした。
地下が二階建てになっていて、赤い椅子とシャンデリアとクラシック音楽で、お客さんを外界から一気に切り離し、緊張から解いていってくれるような感じです。

そこで私たちは三十余年の年月を徐々に解凍させ、遡ったり戻ったりと、時間を自由に行き来しました。それぞれの記憶を語っているうちに、忘れていたこともたくさん思い出し、封印していた当時の(主に思春期にありがちな微妙な)心情を披露し合い、今ではそんな、揺れ動いていた自分たちを、客観的に暖かいまなざしで観ることができるようになっている自分たちを発見しました。

「らんぶる」とは「琥珀(こはく)」という意味だそうです。琥珀は、植物の樹脂などが地中で長い時間かかって化石化したもの。
私たちの高校時代も、長い時を経て、なめらかでつややかな人生の装飾品になっていたようです。
心の引き出しの中に大事にしまっておきましょう。
ときどきとりだして見ることができるように、鍵はかけないままで。

2011年10月4日火曜日

名残ひまわりとアオジソとミズヒキ

10月4日(火)

7月11日のブログで怖いアジサイの話をご紹介しましたが、今回も似たような話です。
そしてまた、前回はシソご飯の話題と組ませましたが、今回も偶然アオジソと組んでいます。

玄関に飾った花入れに、いつまでもしおれないひまわりが一輪だけまだ残っているのです。
小さい小さい花ですが。



前回の台風でうちのひまわりは全滅してしまったので、飾っていたのも次々に枯れてほかには残っていません。ここに活けてから、もう何日経つでしょう?
「お化け」ひまわりと呼ぶのはかわいそう過ぎるので、「名残」ひまわりと名付けました。

さて、ひまわりを取り囲むように活けてあるのは何でしょう?
実はこれはアオジソなのです。
この季節、うちの庭の菊はまだ固いつぼみですし、飾る花には本当に苦労しています。
シソも、葉っぱだけですとすぐ黒くなってしまうので、飾るのはどうかと思ったのですが、茎も一緒だと結構長持ちしてくれています。香りもほとんど気になりません。
ただ、白い花の寿命は短く、ポロポロポロポロ落ち続けますので、今度はお掃除が大変になってしまいました。
でも、掃除がどうだこうだと花を選んでいられる季節ではありません。
変な生け花ですが、見た目はそれほど変ではないと思っているのですが・・・?

そして、もう一種類、すーっ、すーっと伸びているのはミズヒキです。
庭の端っこの山の斜面の始まりのあたりに生えていました。
これが、使いようで結構映えるのです。
これだけだと目立たなくて見過ごしてしまいそうな花なのに、花瓶の中では名脇役です。

やはりお茶の世界で好まれるのも、でしゃばらないのにしっかりとした存在の意味があるからだと、分かるような気がします。

2011年10月2日日曜日

意志の問題

10月2日(日)

昨日、忘れないことと忘れることについて、安易なまとめ方でおしまいにしてしまいました。
でも今日になってもまだなにかひっかかっている感じがなくなりません。
朝、店を掃除しながらずっと考えていました(私がものを考えるのはこの掃除の時間が多いです。この時間に何か一所懸命考えるか、怒りなどの悪感情に支配されているかで、その日一日の満足度がかなり違ってきます)。
そこで意志の問題にたどり着きました。

私はよく物忘れをしますが、そんな「うっかり」の忘れるという行為(?)には、意志がないのです。
それに対して、昨日のテーマの「忘れる」「忘れない」には強い意志が働いています。
そのままにしておいたら忘却のかなたに消えていってしまいそうな、愛するものの面影を必死にたぐり寄せようとする強い意志、そのまま放置しておいたら、報復への誘惑に負けそうになってしまうところで踏みとどまる強い意志。
あるがままの自分をそのまま通すのではなく、そこに強い意志を働かせ、あえてより高いステージへ向かっての戦いを自分自身に挑ませるなんてことは、やはり成熟した大人の人間にしかできないことでしょう。

こうしてようやく、二つの文章を擦り合わせての、私なりの結論めいたものが出たような気がしました。

2011年10月1日土曜日

忘れないことと忘れること

10月1日(土)-2

「忘れる」という言葉が私の頭にひっかっかったのは、「忘れてはいけない」という趣旨の文章と「忘れなくてはいけない」という趣旨の文章とを偶然同じ日に読んだからです。

前者は朝日新聞の「南相馬日記」ー 消えた命 忘れはしない - (9月29日付け)。
毎日海辺に通い続け、津波でさらわれた父親と幼い長男を、探している男性の記事です。
南相馬市において、津波による死者と不明者は663人にも及びます。にもかかわらず、震災の直後に起こった原発事故にばかりに目が向けられ、津波の犠牲者が置き去りにされている現状を告発している記事です。
男性は愛する家族を「決して置き去りにはしない」と胸に刻み、今日も捜索を続けているそうです。

そして後者は新約聖書「コリントの信徒への手紙」にある「愛の定義」。
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
という、有名な個所です。
この定義を曽野綾子さんが本の中で解説されていましたが、「恨みを抱かない。」という文の説明で、「抱く」という語のギリシャ語の原語は会計係が忘れないために記帳するという意味の動詞だそうです。つまり、キリスト教の愛の定義では、忘れないことがよいのではなく、忘れなければいけない場合があるというのです。
ですからこの場合の「忘れる」は、「許す」ことと同じで、キリスト教信仰の基本原則となっています。
しかし、いくら信仰の原則が「許し」であっても、クリスチャンがみな原則どおりに「許す」ことができているかというと、そうではないと曽野さんは続けます。そして、人間性に厚みをつけるためには、あるがままの自分とあるべき自分との二重性を子どものうちから理解させなくてはいけないとおっしゃっています。いい年をして、子どものように幼稚で薄っぺらい見方しかできない大人が認められるような社会は、世界の中にほとんどないからというわけです。

厳しいご指摘ですね。


両方の文章を読んで、、私たちが生きていくうえで、「忘れてはいけないこと」がある一方、「忘れなければいけないこと」もあるということにあらためて気を留めることになりました。
そして私たちはしばしば、忘れてはいけないことを忘れ、忘れなければいけないことを忘れず、そのために重荷を背負って生きているような気分になることに思い当たりました。


糧になることは忘れず、重荷になることは忘れて生きていけるように、これから先、注意深く心を使いながら生活していこうと思います。

Stay or Go (行くか、とどまるか)?

10月1日(土)


小学生のころ愛読していた少女文学全集の中に、「風の子キャディー」という物語(残念ながら作者は覚えていない)がありました。

舞台は西部開拓時代のアメリカ、主人公のキャディーはティーンになるかならないかの女の子。両親、姉と兄、弟と二人の妹という家族に、ボストン育ちの従姉が絡み、このあたりは「大草原の小さな家」にちょっと似ていると言えるかもしれません。
物語は、南北戦争、インディアンとの対立と和解などの時代背景の中で、子供たちが成長し、家族が絆を深めていく姿を描いたものでした。
当時日本ではまだ、それほど一般的になっていなかったヴァレンタイン・カードを、子供たちが贈りあうシーンなどもあり、それが兄の初恋のエピソードにもなっていて、とても楽しんで読んだ本です。

物語の一番の山場は終盤に訪れます。

東部ボストンの親戚が亡くなり、一家に、お屋敷を含めた莫大な財産を受け取る権利が発生したのです。ただし、それには条件がありました。ボストンに戻って、そこで生活することです。
キャディーのお父さんは家族投票をすることにします。
兄弟六人と両親が、それぞれに、「STAY」の4文字か「GO」の2文字を書いて投票するのです。いちばん小さい妹まで、この6つの文字を教えてもらって投票に参加しました。

結果は「GO」は姉一人だけ。その姉も、「私も本当は行きたくなんてなかったんだわ!」とすぐ撤回します。

物語は、リンカーン暗殺のニュースのショックから一家が立ち直り、それでも「西」(=新しい場所・時代)に向かって生きていく決意を新たにするところで終わります。


人生の大きな岐路にいつも立ちはだかる永遠の問い「Stay or Go?」。
重要なのはどちらが正しいのかではなく、決断を下すこと自体なのでしょう。
なぜならこの物語でも、そのほかの多くの場合でも、「STAY」という決断はすなわち新しい「GO」でもあるからです。