5月7日(土)
一日中、うっとうしいお天気になってしまいました。
筑波山の頂上付近には終日雲が絡み付いており、たとえ山に登っても何も見えなかったと思います。
昨日も書いたのですが、危険だと分かっていても、不便だと分かっていても、それでも今まで自分が住んでいた場所を離れられないということについて、何か私の中でまだ引っ掛かっているのです。そしてまだそれを整理しきれないでいるのです。
ひとつには「ほかに行くところがない」という理由があるでしょう。
知り合いのいない場所では生きられない。
コミュニティーとしてのつながりが希薄になってきたとはよくいわれますが、それがまだ地方では残っていて、特に高齢の方々の間では機能していたのです。ですから、コミュニティーから切り離された形でよその場所で生きていくこと自体が彼らには不可能なのでしょう。
また、自分の生きてきた場所そのものへの愛着ということもあるでしょう。
世界中を飛び回っている人たちがいる一方で、自分の生まれた土地で一生を過ごす人もいるという事実。別に、外へ行くことを禁じられているわけでもないのに、外へ行こうと思わない人たちが、世の中にはたくさんいますね。
今回の被災で、少しだけ、どうしてなのか判りかけてきたような気がします。
私自身が、生まれ育った土地から見知らぬ土地に移り住んで、「よそもの」と見られ続けてきましたから、根っこがあるようなないような・・・
しっかり根を張ったほうがいいのでしょうか、それとももっと自由に動けたほうがいいのでしょうか。
それは多分それぞれの人の考え方によるのですね。
どちらも「あり」。
でも、ジプシーなどと違って、それからユダヤ人とか、世界中にチャイナタウンを作ってきた中国人なんかとも違って、自分の生まれた土地にどっしり根を張る生き方のほうが、より日本人らしいのかもしれません。農耕民族だからとよく言われますけど。
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