2011年5月19日木曜日

タンポポはきれい?

5月19日(木)


久しぶりに早寝早起きしてみました。
この季節、確かにこの生活パターンの方が心身によいかもしれません。
以前夫にも、「考え事は朝するもの。」と言われたことがあります。
朝のほうが気持ちが前向きだし、袋小路に陥っていた思考にも新たな道が見つかることがよくあるからだと思います。
夜書いた手紙は、必ず朝見直してから投函しなさい、ということも一般的によく言われます。

ただ私のような「ねぼすけ」には、継続は難しい気がします。
強い意志の力が必要だと思われます。


Foxgloveさんjから「庭仕事」についてコメントをいただきました。
庭仕事とはきわめて自分勝手な自然破壊であり、雑草との終わりなき戦いは適者生存のむき出しの自然との闘いであるとおっしゃっていました。


このコメントから思い出したことがあります。
以前私が
「うちの庭、今タンポポがいーっぱいなの。」
とうれしそうに話したときのこと。
義母に、それは庭の手入れをぜんぜんしていないということで、とてもはずかしいことなのだと返されました。そして、今のうちに花をちょん切っちゃえ、綿毛になると種があちこち飛んでやっかいになるからと言われました。日々庭仕事に追われ続けて一年を過ごしている義母だからこその見解でしょう。

でも首をちょん切れって、それタンポポの処刑命令?

その後も毎年タンポポは咲き続け、今年もやっぱりあちこちに鮮やかな黄色い花を咲かせています。
そして先日娘が無邪気に一言。
「わーっ!たんぽぽがきれい!」

1 件のコメント:

  1. 庭と野の花:
    本来、野の花が好きです。自然が好きです。たんぽぽも、いぬのふぐりも、なずなも、れんげも、すみれも、つゆくさもみんな大好きです。好きではないものは、ここぞとばかりに縄張りを広げ、在来種を駆逐する帰化植物です。日本では帰化種のセイタカアワダチソウが嫌われていましたが、イギリスではJapanese knotweed(和名不明)というのが一番の嫌われものです。

    庭花はそもそも園芸改良種。それを言い出したら、野菜だってすべからく改良を重ねたもの。だから量産できるし、ある種の病気には強くても、自然に任せれば、雑草に駆逐されるものばかり。改良種がだめだと言いたいのではなく、庭の草木花だって所詮、人が守らないと生きてはいけないものということです。また、在来種だけだと、庭が野原と変わらなくなってしまう。そこで、庭仕事はエゴなんだと書いたわけです。やめるととたんに自然に帰りますから。

    でも、なるべく自然の景観を大事にした庭もあります。たとえば、Meadowと呼ばれる、芝のかわりに在来の雑草を美しく育てたもの。これには芝刈りの手間もありません。こちらなら、真っ赤なポピーや白いデイジー、黄色いバターカップ、青いつりがね草なんかが高い背丈の草むらからちらほら顔を出すという風情。日本なら、春の七草、秋の七草で、そういうのができるかな?

    和タンポポは背が低くてかわいらしいですが、西洋タンポポは背が高くて葉がサラダになるほど長くて大きく、たいへんなはびこりかたです。目を放した隙に主根を地中深く垂直に伸ばし、ちょっとやそっとでは取れやしません。やっとのこと引き抜いたら、ごぼうみたいに育っていることも。ゴルフ場のように頻繁に芝刈りするところでは、常に葉とともに地面から断頭され、それでも必死で生き延び、地面にへばりつくように茎なしで花が咲きます。大きさが和タンポポぐらいになっても。すごい生命力です。だからこそ、漢方薬にもなるのね。むかし、おっぱいがよく出るようになる、って聞きましたが、豊胸への効果はいかに?
    閑話休題
    夫は芝刈り係ですが、本来芝刈り機の通った後がすべて一定の幅で平行になるように刈るものなのに、彼は野の花をこよなく愛し、器用にタンポポ、デイジー、いぬのふぐり、白詰め草などを小さなコロニーに残して刈ります。おかげで、芝は緑で平らながら、年々雑草が広がり、いまは緑は芝なのか雑草なのかわかりませんが、小さな花が黄、白、青のアクセントを添えています。

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